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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】上磯郡知内町 雷公神社

 雷公神社(らいこうじんじゃ)は、北海道上磯郡知内町元町232にあり、神社庁に属さない神社です。(もしかしたら道南の神社に多い北海道神社協会所属)

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 由緒も御祭神(賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)?)も例祭日も不明ですが、北海道最古の神社(※1)とだけは謳っています。

 由緒は不明と上記で書いたのは、同神社に残っている古文書「大野土佐日記」だけにしか、この神社に関することが書かれておらず他の文献との比較検証が出来ないからです。

 とりあえず唯一の文書である大野土佐日記によると、砂金掘りのために甲斐の国から知内に来た荒木大学が1244年(寛元2年)(※2)に創建したと伝えられる。コシャマインの戦いの時、知内を通った(1458年(長禄2年)か?)武田信広が加茂の二社を一社にして再建し、雷公神社と呼ぶようになりました。元々は上雷地区にありましたが、大正4年(1915)に元町へ移りました。

(※1)道内各地に北海道最古を謳った神社が数社あって、どれもこれだというものはありません。

  意冨比神社(北斗市) 平安時代の康平三歳(1060年)の銘が入る鰐口を有するが創建は不明。
  船魂神社(函館市) 保延元年(1135年)創建。(観音堂のこと)
  刈田神社(登別市) 社伝によると平安時代末期に建てられた祠が起源。
  姥神大神宮(江差町) 社伝によれば建保4年(1216年)の創建。
  湧元神社(知内町) 延応元年(1239年)の創祀と伝わる。
  雷公神社(知内町) 社伝によれば寛元2年(1244年)の創建と伝わる。

(※2)1244年(寛元2年)は鎌倉幕府5代将軍 藤原頼嗣(ふじわら の よりつぐ)の時代で当時の執権は北条経時である。

2022/8/10追記

神社本庁包括外神社なのでネット上ではあまり情報などが転がっておらず調べてみました。

以下は北海道神社庁誌(1999、絶版)から、第二章 神社本庁包括外神社のうち北海道神社協会の項にあるのを転載。

【社名】
 雷公神社
【所在地】
 〒049-1106 上磯郡知内町字元町232
 電話 01392-5-5116 FAX 01392-5-5116
【例祭日】
 9月22日
【旧社格】
 村社
【御祭神】
 別雷神、加茂御祖神
【由緒】
 元久二年(1205)七月二十三日初代大野了徳院重一が当所に渡り金山祭を行う。暦仁元年地震など災害が続き、天下泰平・安全祈願のため山城国加茂上下両社の御霊代を祀り二社を創建。コシャマインの戦いで武田信広の箱館遠征の際、七代大野茂宣が道案内を命ぜられ、途中信広が二社の荒廃をみて、別雷神が主神であるため一社として再建し以後、雷公神社と称した。明治九年十月村社に列す。大正四年、上雷一番地より本社移転。
【合併により合祀された歴史をもつ御祭神】
 熊野神社 伊邪那美神 元禄二年創祀 明治十六年合祀
 月讀神社 月夜見命 弘長元年創祀 明治十六年合祀
 神明神社 天照大御神 明治十六年合祀
 雷電神社 下國恒季霊 寛文十二年創祀
 三島神社 大山祗命 寛永十六年創祀
 鹽竈神社 猿田彦命 寛永十一年創祀
  以上三社、明治二十七年六月十三日合祀
 湯倉神社 大己貴命、少彦名命 宝治元年創祀
 稲荷神社 宝治元年創祀
 涌元神社 奥津比古神、奥津比賣命 暦仁二年創祀
 稲荷神社 宇迦之御魂命 宝永十九年創祀
  以上四社、明治四十四年十二月十三日合祀
【社宝等】
 棟札(鎌倉時代)、知内村大野土佐日記(江戸時代)、鰐口(鎌倉時代)
【その他】
 道指定樹木に黒松(二葉松)八本、杉二本
【特殊神事】
 女性だけによるおっぱい祭り、松前神楽
【境内外摂末社】
 荒神社 松前数馬介由広
 雨石社 大野了徳院重一
 姥杉社 大野玉之江
【参考文献】
 『大日本神社大鑑』、『北方文明史話』、『北海道祭りの旅』、『北海道むかしあったとさ』

知内町

 知内(しりうち)の地名由来はアイヌ語でイ<cir-ot-i>鳥いる所(鳥が・群居する・所)この川の近傍が鷹の名所であったため。《知内町HPは同説を採り、「鷹の産地として有名で、松前藩が徳川将軍家に献上する15羽のうち、半数以上は知内で捕獲したものと言われている。」と書いている。》

 町内には縄文時代の遺跡が多数あり太古の昔から人々が生活していたと思われます。

 知内には道南十二館のひとつ脇本館(館主 南條治郎少輔季継)があったが、1457年(康正3年)コシャマインの乱にて落城。寛正4年(1463)6月、季継が死去すると、嫡男光継が南条家の家督を継ぐが、大永4年(1524)6月アイヌとの戦いで討死。家督は嫡男の広継が継いだとされ、蠣崎季広の長女を正室に迎え蠣崎一族として重用されるが、正室が実弟の蠣崎舜広(季広の長男)と明石元広(季広の次男)を毒殺した罪に連座してしまい、永禄5年(1562年)に蠣崎季広の命で自害させられた。 

 町内の農業では特に有名なのがニラの生産で道内一の生産量を誇り、1月からスーパーに並ぶ知内産一番ニラは品質も道内トップクラスでとても美味しいです。

二ノ鳥居は桧で出来てますね。

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手水舎も同じ部材です。

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 左から境内社荒神社、忠魂碑、知内町戦没者慰霊之碑

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荒神社 詳細は不明だが、松前藩藩主5代慶広の4男、数馬之助由広を祀っているらしい。由広は父親他が徳川方に付くのを決定していたにもかかわらず、豊臣方につこうとして、慶長19年(1614年)に大坂冬の陣が始まると、父・慶広から豊臣氏に内通したとの嫌疑をかけられ、討伐の命を受けた工藤祐種により12月26日に殺害された。享年22。

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忠魂碑(昭和10年1月建立、元は知内小学校校庭にあったもので戦後
昭和37年7月雷公神社境内に移設されたものです)

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知内町戦没者慰霊之碑(昭和57年8月建立)

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狛犬

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拝殿も桧ですね。

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御朱印

車で鳥居をくぐってくると社務所があり駐車できます。社務所玄関にはチャイムを押すようにとの貼り紙もあって分かりやすいです。

玄関及び廊下には地元の名士サブちゃんのポスターがいっぱい貼られていました。

初穂料は300円を納めさせて頂きました。

御朱印ありがとうございました。

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ネット上の書置きだと奥様による算用数字でしたが、宮司さんが居て漢数字だったのでホッとしました。

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