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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】上川郡新得町 新得神社

新得神社(しんとくじんじゃ)は、北海道上川郡新得町西1条北3丁目11番地にある神社で旧社格は郷社。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)で例祭日は9月8日。

平成28年8月に起きた豪雨災害以来の新得町に訪問です。神社に向かう神社橋が新しく架替になって風景も変わりましたね。

神社は山の中腹にあるのですが、結構広い境内地で見どころも沢山あり全部周ってみると結構な時間がかかりました。

新得町

 新得町(しんとくちょう)は十勝総合振興局内の上川郡に属し、気候は寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候です。降雪量も多くて十勝総合振興局管内では唯一、特別豪雪地帯に指定されています。

 その気候のおかげで特産品は蕎麦であり「新得そば」が有名で、新そばの季節になると町内のお蕎麦屋さんは観光客で満員状態になります。

 町内にはサホロリゾートがあり、ゴルフ場やスキー場などがその広大な敷地の中にあります。かつては国鉄時代にリゾート列車であるアルファコンチネンタルエクスプレス (Alpha Continental Express) が走っていた時期もありました。

 新得の地名由来はアイヌ語から来ていて、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、

シット<sittok> 肘 [sittokは川曲がりや山の突出部をいう。この場合は新得山の突出部をいったのではなかろうか。]山田秀三北海道の地名
シントコ<sintoko> 宝物を入れる漆器 [この地でその漆器が作られたことから、地名になったという左の説(十勝地名解)も根強い。]新得町史90年

とあり、リストでは「 山田解の方が妥当と思われる。」という補足を付けています。

大正9年測図、昭和6年鉄道補入地形図

新得神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治32年に新得原野に13戸の山形県入植者が入地し、同36年玉川半兵衛・太田才太郎・原田熊五郎・岡田善蔵・清野忠蔵らの有志によって現在の新得小学校東南付近に木柱を建立し天照皇大神を奉斎したことに始まる。翌37年秋に改めて神社山山頂に花崗岩を建立し奉斎する。大正5年9月、基線53番地先の新得山東端高台丘陵地に社殿を造営し奉遷したが、非常に不便な場所であった為、3年後の大正8年5月協議の結果、参道境内地の整備・橋の架設・鳥居の建立をしたうえで現在地へ遷座した。この時、拝殿の造営は中止されたが、大正11年6月には建立されている。同14年、神社山に祀っていた元宮(花崗岩の碑)を境内に奉遷、その後昭和6年、同50年と奉遷され現在地の新得山に鎮座している。昭和4年10月26日に村社、同13年2月14日に郷社に列せられ、同17年、50年、59年と社殿等の改修を行っている。
【所在地】
〒081-0021 北海道上川郡新得町西1条北3丁目11番地
【例祭日】
9月8日
【祭神】
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
【旧社格】
郷社

社号標(クラック入っていますね。これ神社にお知らせしたほうが良かったかな?)

神社橋手前の鳥居(鳥居はこれ1基のみです)

んで、石灯籠一対(建立年不明)と石段が…

 

 

高い高い(小並感)

石段の先に石灯籠一対(昭和9年2月3日建立)

 

右手に手水舎

常時流水?

更に右手にどこに行くのかわからない太鼓橋(神社渓流橋)

おや、段差がもう1段あるの?

右手に悲願桜 伊藤傳五郎之碑

「悲願桜」と呼ばれるこの桜は、大正時代に火災で妻子を失った伊藤伝五郎が弔いのために植樹をしたのが始まりと言います。
植樹は伝五郎が亡くなるまでおよそ15年間続きました。その後も伝五郎の姿に心を打たれた町民たちが植樹を続けたことで十勝有数の桜の名所となりました。

 

ツツジがきれいですね。

最後の石段です

石段の先には狛犬一対(建立年不明)

 

 

 

社殿右側に神輿殿

 

ん?先程の太鼓橋渡った先に石碑らしきものが樹木の間に見えたけど…

神輿殿の隣に天白龍神碑

 

社殿左に授与所

この八角の平場は猿田彦大神の関係?

忠魂碑(大正14年11月建立)

 

慰霊碑(昭和43年7月10日建之)

 

 

猿田彦大神碑(大正15年5月31日建立)

 

弥彦神社(社号標は平成15年10月建立)

 

 

御朱印

御朱印は観光案内所みたいな建物の社務所にて戴きました。

書き置きかと思いきや御朱印帳に直書きして戴きました。

御朱印ありがとうございました。

 

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