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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

石狩郡新篠津村 新篠津神社

新篠津神社(しんしのつじんじゃ)は北海道石狩郡新篠津村第47線北13番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、天香具山命(あめのかぐやまのみこと)で例祭日は9月20日。

細長い境内で大きな樹木などは無く、静かでシンプルな神社です。

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新篠津村

 1896年(明治29年)に江別村3村の内の篠津村から分村してできたのが始まりで、篠津の地名由来はアイヌ語のシ<sir-not>、シンノ<sinnot>山・崎 〈元来の篠津村は西から南を回って流れている石狩川と当別町の間の広い原野であったが、明治29年その北東の大部分が分離して新篠津村を称した。篠津の語源と思われる山の・崎については、一帯は低平地なのでよく分からないが、当別町に入っている部分は篠津川と当別川に 挟まれた低い丘陵が長く南に突き出していて、その丘陵を呼んで、それがこの名のもとになったのかもしれない。〉から来ているようですが諸説あります。

 石狩振興局の自治体ですが、経済的な結びつきは石狩川を渡った先にある空知総合振興局の岩見沢市と大きな繋がりがあり、特に小売業においては岩見沢市の1次商圏に属するほどです。

 隣接する江別市と、2008年度(平成20年度)の合併を目指して協議が行われていたが、農業政策の不一致などを理由に2008年(平成20年)7月10日をもって合併協議が打ち切られた経緯があります。

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新篠津神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 明治29年移住者相計り3柱の神を祀る。明治44年6月神社の創立を出願同年7月許可を得、無格社に列せられ、大正14年1月21日村社となり、平成12年11月10日新社殿を造営、現在に至る。

【所在地】
〒068-1100 石狩郡新篠津村第47線北13番地
【例祭日】
9月20日
【祭神】
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
天香具山命(あめのかぐやまのみこと)
【旧社格】
村社

石灯籠(昭和年以外不明)

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平安神社合祀記念とあり建立年は昭和以外は判読できません。

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平安神社はかつて平安農場内にあった神社です。

平安農場は、1894(明治27)年に貸下許可された当別町獅子内地区の第一農場と、1896(明治29)年に貸下許可された新篠津村の第二農場とからなり、両方で67万坪余りの大規模農場である。農場創設に関わったのは、京都府在住の田中利兵衛、酒井重綱、膳平兵衛の三名で、うち膳は1898(明治31)年に農業経営から手を引いた。稲作を行う目的で、第一、第二農場とも湿地で泥炭地という土地が選ばれたが、第一農場は畑作中心となり、第二農場も灌漑溝や排水溝を設置したが成果ははかばかしくなかった。

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獣魂碑

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護国之礎碑

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忠魂碑(大正7年11月建立)

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手水鉢の代わりにステンレス流し台

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狛犬(大正10年4月建立)ちょっと顔の凹凸が少ないです。

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御朱印

本務社は当別神社ですが、御朱印はありません。

www.moiwa-orosi.com