藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう ほとんど気楽な食レポが多いですが北海道内のダム訪問・ダムカード収集・神社訪問・御朱印収集にも目覚めてしまいました。


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檜山郡上ノ国町 大滝古戦場(箱館戦争)

大滝古戦場は、上ノ国町から松前に向かう途中の小砂子(ちいさご)という集落の手前にあって、箱館戦争時に松前城を落とした旧幕府軍土方隊と松前藩兵が戦闘を行った場所です。

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以下は上ノ国町教育委員会HPから。 

 大滝の古戦場(箱館戦争)

 国道228号線の大滝の沢に架かる大滝橋周辺で、明治元年(1868)11月14日に松前藩と旧幕府軍(土方隊)の間で行われた戦いです。

 旧幕府軍は、沢越えによる攻撃が難しいと判断すると、右手の沢から山に登って山から奇襲攻撃し、山から銃を一斉に攻撃したといわれています。

 松前藩側は驚いて防ぐことができず、陣を捨てて江差に退いたとされています。

 

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沢の左岸側(松前側)は下の方に旧道があり遮蔽物もないため対岸陣地から狙い撃ちされますね。

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江差側の松前藩陣地は、旧道を抑える事ができる斜面途中の小段地形に陣を構え、大砲も配置していたそうです。

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山を迂回してこの急斜面上から急襲したんでしょうね。

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以下は八雲町史第5章幕末の熊石、第5節館城、厚沢部川での戦いから。


  松前城を失った松前藩は、館城に藩兵全勢力を結集して最後の拒戦をする考えであった。そこで松前から北上する徳川脱走軍に対しては上ノ国支村の石崎と小砂子の間の大滝に、天険を利した防禦陣地を築き、家老蠣崎廣胖及び江差奉行氏家丹宮ら約250の兵力でこれを固め、松前退却の主力を上ノ国に配置して遊軍とした。一方、藩主徳廣は館城にあって執政下国安芸以下の近臣が守護して、万一の場合は厚沢部河口に下って形勢を見るように計画し、館城には隊長今井興之丞、軍事方三上超順等250の兵力を配置し、さらに大野方面から中山峠を経て館城に到る主要経路の北側稲倉石にも防寨を設け、さらに鶉には水牧梅干の率いる一隊を配置して遊軍とした。

 松前から北上を続けた土方軍は、10日以降、大滝の天険に拠る松前藩兵の抵抗に遭い、困却していた。そのことを五稜郭の榎本武揚に報告すると、榎本はようやく舵の修理を終った開陽丸に乗り組み、松前に来て警備の陸兵を乗せ14日夜半松前を出帆、15日の払暁江差弁天島(鷗島)沖に入り、詰木石浜から豊部内浜に陸兵を揚陸させたところ、江差在留隊は総て上ノ国に出動していて不在であったので、無血のうちに江差を占領した。大滝の松前藩兵の抵抗は激しく、土方らは背後の山からこれを射撃することに成功し、守将氏家丹宮が戦死し、この防禦線が破れたのは14日で、土方らが江差に到着したのは16日である。

 

 ここから松前に行く途中には、北朝鮮の漁船が上陸して窃盗をしたことで有名になった、松前小島が見えます。

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