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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】松前郡松前町 松前神社

 松前神社(まつまえじんじゃ)は、北海道松前郡松前町字松城145番地にある神社で旧社格は県社。御祭神は武田信廣公(たけだのぶひろこう)で例祭日は8月5日。

 福山城(松前城)の北の丸跡に建っている神社で、一番のオススメは桜の季節の参拝で神社の周りはもちろんのこと城の周りも桜でいっぱいです。

 参拝時は4月22日ということもあり、ソメイヨシノなどはまだ蕾(つぼみ)の状態であり、冬桜のみが咲いていました。

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松前町

 松前の地名由来は、蠣崎氏から改名した松前氏から来ていると思われがちですが、そもそもがアイヌ語地名のマオマイ・マトマイ<mat-oma-i>婦人・いる・所の意味であり、元来が川の名でマトマイあるいは、マトマナイ<mat-oma-nay>川と呼ばれていた所であったのが松前となったようである。この夫人とは和人の女性の事のようである。

 この地方は古くから和人が定住していた地域で、『福山旧事記(ふくやまくじき)』には、文治五年(1189年)源頼朝の奥州攻めに敗れた平泉藤原氏の残党の多くが、蝦夷地に逃れてきたと書かれています。さらに、鎌倉時代には蝦夷地を流刑地と定め、多くの罪人が流刑されたとあり、この頃から和人の定着者が増えていったものと考えられます。 

 14世紀頃から蝦夷地(道南地方)の管領だった安東氏の配下は十二の館(たて)を築き各地を実効支配していました。その一つである大館(おおだて)は現在の福山城の北側にある沢に挟まれた急峻な地形を利用した所で、松前の和人居住地の管理を行なっていました。

 1457年(康正3年、長禄元年)に起きたコシャマインの蜂起によって大館も包囲され落城しますが、上ノ国花沢館 蠣崎季繁の客将であった武田信広(松前家の祖)によってコシャマイン父子は討ち取られました。この武功により武田信広は蠣崎季繁の婿養子となり、蠣崎氏を継承して蠣崎信広を名乗り、拠点を大館に移します。

 松前の大館は蝦夷地での安藤氏支配の中心館であったので、この館を支配することは和人地内の各館主を支配する立場になることになり、後の松前藩の成立に続くことになります。

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松前神社

以下は北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 松前家にて当初松世祠を設け信廣公始め代々の神霊を奉斎したが、旧藩臣及び庶民は公の蝦夷地開拓の基礎を築かれた功績を追慕し、松前家にのみ委すべきに非ずとして神社創立の議起り、明治12年以来開拓使に出願して同14年2月8日許可せられ、旧福山城北の丸址を境内地に充て社殿を建立し、武田信廣公1柱の神霊を奉斎して松前神社と称した。大正4年の御大典に際し創立当初の社殿腐朽甚だしきを以て、時の函館支庁長河毛三郎氏慨然奮起し公の頌徳会を組織して神社の興隆を計り、同7年5月6日無格社より一躍して県社に列せられた。同年5月21日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。同9年社殿改築に着手し同11年現社殿竣成した。昭和11年昭和天皇本道に行幸の際幣帛料を御奉納せられた。

【所在地】
〒049-1511 松前郡松前町字松城145番地
電話 01394-2-2032
【例祭日】
8月5日
【祭神】
武田信廣公(たけだのぶひろこう)
【旧社格】
県社

【社宝等】
神輿(明和3年)、來國俊太刀、桐章(豊臣秀吉より松前慶廣に賜ったもの)、扁額(有栖川幟仁親王揮毫)、その他 北海道の名木「鳳舞松」「臥龍梅」「祥雲松」

【特殊神事】
松前神楽 鎮釜湯立神事

絵葉書_年代不明_松前神社

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一ノ鳥居(天保2年(1831)建立であるが、元は桜見本園の場所にあった八幡宮の鳥居です)

右:奉納 願主 松本金蔵 阿部屋喜右衛門
左:天保二辛卯歳 世話人 柏屋嘉蔵

願主の松本金蔵は、松前藩の藩船長者丸の船頭であり、翌年の天保3年には徳山大神宮にも鳥居を奉納しています。
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石灯籠(明治7年3月建立とあり、これも違う神社からのものでしょうか?)

近づかないようと貼り紙があります

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手水舎 手水鉢は州浜紋の形をしていて、これも他所からの移設でしょうか。

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縁結びの木 よく見ると途中で繋がっていますね。

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祥雲松 この松は松前家第11世邦廣公が手植えしたもの

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贈従五位田崎君碑 松前藩勤皇派正義隊田崎東の顕彰碑

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御所錦 京都から移植されたといわれる梅の木で、赤と白の花を咲き分け、一本の小枝に赤い花と白い花がついていますが、老木になって白い花が多くなったみたいです。

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御朱印

社務所付近まで車で来ることが出来、駐車スペースもありますが裏から来たときはちょっと迷ってしまいました。

授与所は午前9時から午後4時までと明記されていますので注意しましょう。

初穂料は300円。

なんか準備をしていてお忙しい中、ありがとうございました。(お話好きの宮司さんでした)

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