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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】虻田郡倶知安町 倶知安神社 阿倍比羅夫(あべのひらふ)を祀る珍しい神社

倶知安神社(くっちゃんじんじゃ)は北海道虻田郡倶知安町字八幡476番地にある神社で旧社格は郷社。御祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)、阿倍比羅夫将軍(あべのひらふしょうぐん)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、大山祗神(おおやまつみのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、天之鈿女命(あめのうずめのみこと)、大山咋神(おおやまくいのかみ)、玉姫稲荷大神(たまひめいなりのおおかみ)で例祭日は7月28日。

倶知安市街地より国道276号を京極町方向へ約3.2km行った先の高台に神社はあり、杜に囲まれた参道は昼間でもちょっと薄暗いです。

倶知安町

倶知安(くっちゃん)は羊蹄山麓北西にある小さな盆地状の場所にあり、冬は北海道内でも有数の豪雪地帯で、ニセコ連峰に近いこともあり外国資本によるスキーリゾート関連の開発が著しい町でもあります。

ちなみに、よく勘違いされるのが人口の多い小樽市に後志総合振興局(旧後志支庁)本庁があると勘違いされがちで、実はここ倶知安町にあるんですよと。

倶知安の地名由来はアイヌ語ですが諸説ありどれも定かではありません。

クトゥサニ<kutu-sani>(?)泥土の濁川という。永田方正
クッサン<kut-san > (- ) 川が円筒のような地形の所を流れ出していた。〈ただしその地形に見えない。〉知里真志保 〈山田〉
クッサンイ*クッサニ<kut-san-i >---魚を取る道具  〈篭で筒形に作り、そこに魚が流れ下る仕掛けのものだったろうか。〉 松浦武四郎〈山田〉
                                                ---くだのようなところを流れ出るところ クッシャンイがクッシャニとなり、さらにクッチャンとなった。倶知安町勢要覧
                                                --- 崖(の所)を・流れ出る・もの(川) 川水が昔ぶつかって崩していた土崖があった所。kutはふつうは岩崖であるが、土崖でもそう呼んだのかもしれない。語尾のiが下略され、クッサン→クッチャンとなったものか。(試案)山田秀三 
クッサムウンペッ*クッサムンペッ<kut-sam-un-pet>岩崖・のかたわら・にある・川 (倶知安峠のところにあるクッチャムンペッが語源と思われる。)北海道駅名の起源

倶知安町の歴史概要

1800年(寛政11年)江戸幕府の天領とされる。
1892年(明治25年)クッチャン原野の開墾始まる。
1893年(明治26年)倶知安村を設置し、虻田村(現在の洞爺湖町)戸長役場の管轄になる。
1896年(明治29年)倶知安村戸長役場が開庁。
1906年(明治39年)二級町村制施行。
1904年(明治37年)北海道鉄道函館本線開通。
1910年(明治43年)後志支庁(現在の後志総合振興局)設置。東倶知安村(現在の京極町)分村。
1912年(明治45年)テオドール・エードラー・フォン・レルヒ(レルヒ中佐)一行が羊蹄山スキー登山を試み、4合目から徒歩で登頂。
1916年(大正5年)町制施行し、倶知安町となる。
1919年(大正8年)京極軽便線(後の胆振線)開通(1986年廃止)。
1955年(昭和30年)陸上自衛隊倶知安駐屯地開設。
1991年(平成3年)開基100周年記念式典。

大正6年測図、昭和6年鉄道補入地形図 ぽっこりした小山に神社があります。近くには旧国鉄胆振線がありますね。

倶知安神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 クッチャン原野に入植した縫部兼次郎・萬代佐太郎・山本保次郎・山本弥平は、明治二九年四月二日入植者達と協議し、開拓の守護神として石清水八幡宮より誉田別尊の御分霊を勧請、ブイタウス(現豊岡)の小祠に祀ったが、同年九月三月に現在に遷座した。翌年一月二四日許可される。大正七年、村社に昇格し、神饌幣帛料供進神社に指定される。大正一一年、郷社に昇格。同一四年に社務所焼失。翌年再建。昭和一七年、石造大鳥居を再建し、斉明天皇の御代に「阿倍引田臣比羅夫、後方羊蹄に郡領を置く」とあることから、後志開拓の祖神、阿倍比羅夫将軍を増祀する。昭和二二年、北四西一に頓宮氏子集会所設置、同社殿他を三〇年迄に再建、三四年ね南一東二へ移設。二七年倶知安八幡神社に改称。四〇年一一月五日、不老者の焚火不始末で社殿を全焼失したが、四八年に再建。四一年に現者名に改称した。平成七年一二月一六日、鎮座一〇〇年祭を斎行。平成二七年一一月八日、鎮座一二〇年祭斎行
【所在地】
〒044-0072 北海道虻田郡倶知安町字八幡476番地
電話番号 0136-22-0666 FAX 0136-23-4820
【例祭日】
7月28日
【祭神】
誉田別尊(ほんだわけのみこと)
阿倍比羅夫将軍(あべのひらふしょうぐん)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
大山祗神(おおやまつみのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
玉姫稲荷大神(たまひめいなりのおおかみ)
【旧社格】
郷社
【境内外末社】
蝦夷富士羊蹄山神社 大山祗神 大國主神 豊玉姫命
倶知安神社頓宮 誉田別尊 大国主神 事代主神
【特殊神事】
倶知安赤坂奴所作(倶知安町無形民族文化財)
倶知安町赤坂奴保存会の赤坂奴所作が、倶知安町文化財保護条例の民俗資料に指定され、昭和60年7月1日、倶知安町無形民族文化財第1号に指定、渡御先駆として、昭和8年より参加、道具衣装を神社が所蔵している。

珍しい境内社(蝦夷富士羊蹄山神社)の社号標と尊農開基の碑

尊農開基の碑

倶知安土功組合設立50周年、倶知安土地改良区改組20周年を記念

狛犬一対(初老記念、昭和十六年度會員)

 

石灯籠一対(昭和17年度初老會)

 

右側には社務所

一ノ鳥居

由緒書き

手水舎

 

倶知安小学校発祥旧跡地の碑と沿革

 

慶祝記念紀元二千六百年の碑

 

参道はちょっと折れて石段とその上に赤い二ノ鳥居

石灯籠一対(昭和9年9月建立)

 

右手奥に余興所

 

石段を上がったところに石灯籠一対(大正12年2月3日建立)

 

古い社号標(郷社八幡神社、大正11年9月例祭)

 

参道を上から振り返る

二ノ鳥居

左側に電燈架設記念碑

 

右側には地神碑ふたつ(片方は大正7年9月建之)と相馬太田大神碑

 

 

郷社昇格紀念碑(大正11年)

 

御神門があったのに驚きました

手前左側には馬頭観音碑と自然石の地神碑と小祠

 

御神門前のちょっとコミカルな狛犬一対(建立日不明)

 

御神門を過ぎて左に神輿殿

 

 

境内社 蝦夷富士羊蹄山神社

御朱印

社務所にて倶知安神社と境内社蝦夷富士羊蹄山神社の御朱印をいただきました

初穂料は金額は言われませんでしたが、気持ちでそれぞれ300円+αを納めさせていただきました。

御朱印ありがとうございます。

 

 

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