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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近はほとんど気楽な食レポが多いです。

【御朱印なし】空知郡上富良野町 東中神社

東中神社(ひがしなかじんじゃ)は北海道空知郡上富良野町東9線北18号にある神社で、旧社格は無し。御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、大國主神(おおくにぬしのかみ)、熊野大神(くまののおおかみ) で例祭日は春季4月15日・秋季9月4日。

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東中地区

東中(ひがしなか)の地名は和名で、東中富良野を略したものです。

参考出典「かみふらのの郷土をさぐる会」上富良野百年史 第8章地域の百年 第2節地区の歴史 12,東中から

 東中地区の開拓は明治31年有塚利平ほか7名がこの地区に入植したのが開拓の始まりと言われています。その後も明治32年から明治45年にかけて121名が入植し集落を形成しました。
 明治三十年当時今の斜線道路が十勝国道として最も早く開削され、九線道路は富良野鳥沼・布部に接する様に思われた。
 当時、官設鉄道の線路が旭川から富良野原野を通り十勝に向かって敷設される事で、比較的地盤の良い山手線通り(東九線)の東中経由が好ましいとの検討があったようです。
 しかし、途中の鳥沼(現在の鳥沼公園付近)の広汎な湿地帯が軟弱地盤だった為、当時の鉄道建設技術では困難との判断で変更、西側基線沿いに鉄道レール敷設決定がされました。駅が東中に出来る予定と期待し市街地の更なる発達も夢に終わったのでした。

大正8年測図地形図 

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東中郷土史では、東中神社は現在地に創祀されたのは大正10年とありますので神社記号は見当たりません。

東中神社

「かみふらのの郷土をさぐる会」上富良野百年史によると、「地区神社としては『石碑類宗教施設調書』には、東中、秋葉明神、金比羅の3社が掲載されている。東中神社は明治32年の創祀だが、大正期に倍本の八幡神社を合祀して遷宮したといわれ、昭和28年には本殿を新築、38年に熊野神社を合祀した。」とあります。

また、「明治三十五年、東九線北十七号に創紀したとされる東中富良野神社についても、時を隔てた大正時代に入った頃から、創紀当時の人達は何らかの事情で転居してしまい、祭神が何であるかも解からなくなっていった。
 表沙汰にも出来ないまま噂話しとなって、東中一円の底辺を密やかに浸透しだした。敬うべき祭神が、解からなくなったでは、済まされぬ不祥事と言う事になる。
 よって、同じ東中地区内で二神を奉る倍本の八幡様を、東中神社の主神として移す事になった。」との記述もあります。

 

以下は北海道神社庁誌(1999)から。

【由緒】
 当町南部東中地区は当町開拓当初より複数の団体入職のあった所で、数社の小祠があり、そのいくつかが合併して東中神社となった由の伝えあるが不詳。
八幡社の統合であったと思われる。
最古の小祠は明治三十四年とも言われるが、統合して現在地に創祀されたのは大正十年と東中郷土史にある。
春秋二回の例祭があり、春季は四月十五日、秋季は九月四日である。終戦前後に出雲神社、熊野神社が合祀されたようであるが不詳。

【所在地】
〒071-0528 北海道空知郡上富良野町東9線北18号

【例祭日】
春季4月15日、秋季9月4日
【祭神】

応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
大國主神(おおくにぬしのかみ)
熊野大神(くまののおおかみ)
【旧社格】

なし

【合併により合祀された歴史を持つ御祭神】

出雲神社 大国主神
熊野神社 熊野大神

 

神橋(昭和38年6月奉納)を渡って参拝です。北海道の神社で神橋があることは珍しいですね。

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社号標は昭和12年8月建立

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参道左手には開拓者顕彰之碑(昭和43年5月)と「若い力」と題されたオブジェ。

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参道右手には西谷翁頌功碑(昭和12年10月建立)

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一の鳥居(昭和12年8月奉納)には小さな神社なのに立派な注連縄かあります。

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手水舎

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手水鉢は昭和12年8月25日奉納

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石灯籠一対(昭和39年9月建立)

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狛犬(昭和9年9月4日建立 石工佐藤辰之助)

十勝岳の麓である上富良野は良質の軟石があり、佐藤辰之助(佐藤石材店主)は上富良野の採石場の元締め的存在で、石材は上富良野産軟石と思われる。

上富良野神社の「石の大鳥居」や大雄寺「新西国三十三所観世音菩薩」、海江田翁之碑、十勝岳爆発記念碑、東中神社「狛犬」など多くの石造物に石工としてその名があります。

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石灯籠一対(昭和12年8月建立)

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本坪鈴の上にはこれまた珍しく鰐口がかかっています。

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本殿脇には地神碑がありました。

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本殿をグルッと囲むように土堤があります。

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東中奉安殿(大正4年9月建立、上富良野指定文化財)

奉安殿としての説明板がありますが、この後に作られた奉安殿は御影石の立派なもので、終戦後にGHQの指示により解体されました。このイチイの奉安殿が戦後になっても残っていたのは、昭和16年に倍本の熊野神社本殿として使用し、鎮守の杜の奥深くに鎮座していたから解体を逃れたとの記述が「かみふらのの郷土をさぐる会機関誌」にありました。

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トイレあります。

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小さな土俵

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