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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう ほとんど気楽な食レポが多いですが北海道内のダム訪問・ダムカード収集・神社訪問・御朱印収集にも目覚めてしまいました。


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【御朱印未確認】虻田郡豊浦町字大岸 大岸琴弾神社

大岸琴弾神社(おおきしことひきじんじゃ)は北海道虻田郡豊浦町字大岸にある神社で旧社格は不明。御祭神は由緒書から八幡神である誉田別命(ほんだわけのみこと)と小鉾岸金山神社にあった大山祇神(おおやまつみのかみ)で例祭日は9月第1日曜日です。

 礼文華住吉神社に続いて何も情報がない神社に来ましたが、由緒書があってありがたかったです。やっぱり外部から参拝に来た人にとって、由緒書は大切な情報ですね。

 神社は閉校した大岸中学校のグランドの片隅にあって、学校整備の際に遷座したのですね。もし学校が健在だったら昨今の厳しい環境から、参拝時に許可が必要で面倒だったことでしょう。

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大岸地区

 大岸(おおきし)はアイヌ語でオop-kes>銛・足(銛・の末端)ここの海岸の形が、銛の石突きにつけているU字型の器具に似ていたため。
ケウop-ke-us-pet>槍・を削る・いつもする・川(北海道駅名の起源、S48.3、国鉄北海道総局から)
「いずれにせよ、オプに関係する名だと思われるが、由来に諸説あり特定しがたい。」とあります。

 近くを流れる小鉾岸川(河川名は、おふきしがわ)上流にはかつて採鉱していた金山があり、大正10年に金鉱が発見され、昭和初期には鉱石を馬車で大岸まで運びそこからさらに貨車で茨城の日立鉱山や秋田の小坂精錬所に運び出していました。昭和16年ころから鉱山町として活気があった時代もあり、昭和17年には豊浦精錬所が出来て精錬も大岸で行われることとなり最盛期を迎えますが、昭和18年に精錬所は突如閉鎖し鉱山も閉山。戦後再開するも後に閉山しました。現在、海岸付近は小さな漁村で流域には小規模な稲作や畑作を行う地域となっています。

大正6年測図、昭和3年鉄道編入地形図 地名は大岸に変わる前の小鉾岸(おふけし)となっていて、山間部をくねくねと曲がる旧国道があります。

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大岸琴弾神社

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鳥居は木鳥居で水松の古木を使用したのか、ものすごく圧倒感があります。

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鳥居の扁額には「八幡神社」

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左右には小さなお社があり何が祀られているのかは不明。

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参道には狐の巣穴?

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手水舎

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由緒書

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草刈りされた境内と綺麗に塗られた社殿はきちんと管理されている証です。

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お祭りのときに使われる社務所でしょうか。

機会があれば例祭日に尋ねてみたいものです。

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www.moiwa-orosi.com

 


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