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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう ほとんど気楽な食レポが多いですが北海道内のダム訪問・ダムカード収集・神社訪問・御朱印収集にも目覚めてしまいました。


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【道南十二館】函館市志海苔町 志苔館(しのりたて)

 道南十二館の一つ志苔館(しのりたて)跡は、函館市志海苔町にあり函館空港の直ぐ側にある中世の館跡で、標高17~25m程の海岸段丘縁にあり館跡からは南西側の函館山と市街地および津軽海峡、さらには遠く下北半島などを一望することができます。

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画像は函館市HPから

 この館が築かれた当時、和人居住地の最東端は18キロ東に位置した岡部季澄によって築造された戸井館(岡部館)があり、東部アイヌの勢力圏と接した場所の戸井館は1457年コシャマインの戦い以前のある時期に、アイヌとの抗争によって落城したことから、その後この志苔館がアイヌと接する最東端となり重要な拠点にもなりました。

 志苔館は徳治元年(1306)に上野国(群馬)平姓秩父氏流小林一族で南北朝時代の動乱期に津軽から蝦夷地に渡った小林重弘が築造したといわれ、重弘の孫の小林良景は長禄元年(1457)アイヌの大酋長コシャマインの乱の際に、奮闘及ばず志苔館は落城し討死。良景の子の小林良定はその後、志苔館を奪い返したが、永正9年(1512)再び東部アイヌが蜂起し再び落城し討死。以後小林氏は松前氏の家臣となったことから志苔館は放棄されたと思われます。

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史跡志苔館跡平面図

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同じような説明板がもう一枚

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館の正面入口には堀切が一本ありますが、発掘によって薬研堀が二条あることが解り、その説明板も詳しくありました。

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郭内の様子 やっぱり土塁しか見るものはありませんが、規模は大きくそれだけでも見応えはあります。

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志海苔古銭

 昭和43(1968)年7月には付近の国道工事中に3個の瓶に入った大量の古銭が出土し、瓶の年代から室町時代前期から中期に埋蔵されたと見られ、合計37万4,000枚以上あったが、発見の際の散逸を合わせると推定45万枚から50万枚はあったであろうと思われます。

これらは館の館主小林氏の備蓄銭もしくは領内の有力商人の祭祀による奉納銭とも考えられいずれも定かではありません。

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志海苔古銭と大甕

 

 


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