藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう ほとんど気楽な食レポが多いですが北海道内のダム訪問・ダムカード収集・神社訪問・御朱印収集にも目覚めてしまいました。


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【道南十二館】檜山郡上ノ国町 花沢館跡

 道南十二館の一つ花沢館跡は、上ノ国町にある天の川河口付近の左岸丘陵の尾根状になった所にあって、「上之国館跡」のうちの「花沢館跡」として国の史跡に指定(1977.04.12(昭和52.04.12))されました。

 蠣崎 季繁(かきざき すえしげ)《 寛正3年5月12日(1462年6月9日)没》が築城したとされ、長禄元年(1457年)のコシャマインの戦いの際、客将・武田信広が和人軍の総大将としてこれを鎮圧したことから、養女(安東政季の娘)を嫁がせ家督を継がせたとされる。

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道南十二館(どうなんじゅうにたて)とは

 中世(15世紀~16世紀)の蝦夷地(北海道)渡島半島(渡島国)にあった和人支配地の館の総称で、『新羅之記録』江戸時代に幕命により編纂された松前家系図をもとに補筆して作成された記録に十二の館が記されていることから、この名がついた。

 12の館(たて)は西の上ノ国町にある花沢館から、東は函館市に所在する志苔館まで、渡島半島南端の海岸線に分布し、檜山系安東氏の被官である館主はこれらの館をアイヌ民族や和人商人との交易や領域支配の重要拠点とした。

 長禄元年(1457年)のコシャマインの戦いの際には12館のうち10館が落城したことでも知られる。(花沢館と茂別館は堅く守って陥落しなかった)

画像出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』道南十二館

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花沢館

以下は上ノ国町教育委員会HPから。 

 史跡上之国館跡 花沢館跡(国指定史跡)

 15世紀頃、渡党(わたりとう)と称する本州系の人々が、北海道南部への進出拠点として築いたとされる道南12館の一つです。
 この頃の渡島半島は、津軽の安藤氏の支配下にあり、「下之国」(北斗市(旧上磯町)を中心とした地域)、「松前」(松前町を中心とした地域)、「上之国」(上ノ国町を中心とした地域)にそれぞれ守護が置かれていました。
 本道最古の記録である「新羅之記録」(しんらのきろく)には、花沢館の館主蠣崎季繁(かきざきすえしげ)が長禄元年(1457)のコシャマインの戦いの際に堅く守ったと書かれています。
 館本体は、国道に面しており、その規模は南北に長さ200m、最大幅80m程あり、館直下から頂上部までは約50mの比高差があります。大きくみると、その構造は南から北へ大小6段の平坦部に分かれています。
 昭和20年頃頂上部から約2,000枚の銭が、平成2年には館後方部から珠洲(すず)焼の擂鉢が採集されていました。近年、館後方の空壕、頂上、その他平坦部などの部分的な発掘調査が行われました。その結果、館後方から幅11m、深さ3.9mの大きな堀が確認され、頂上からは、溝や柱穴、15世紀代の珠洲焼の擂鉢や中国製の青磁や白磁、銭、釘や鋸などの鉄製品が発見されました。また他の平坦部からも溝、柵跡が発見されています。陶磁器の年代から見ると、すべて15世紀代のもので16世紀代に勝山館跡が本格的に機能し始める前に既に廃城になっていたことがわかりました。
 松前藩の記録である「福山秘府」(ふくやまひふ)には、寛正3年(1462)の夏、蠣崎季繁が没したと書かれており、年代的には文献とほぼ照合する結果となりました。
 今後、更に本格的な発掘調査を行い、館の全容やその構造を明らかにする必要があります。

面積  約29,000平方メートル
昭和52年4月12日 文部省指定
平成18年3月31日 史跡の統合、追加、改称 文部科学省指定

 

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 登城口 草木が生い茂る前の時期でないと、こういう所に行っても地形の変化がつかみにくく、面白みも半減します。

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急峻な斜面の上部には小さい副郭の段差が連続して尾根上に続きます

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副郭群を過ぎると中段にちょっと広めの水平面があり、居住していた建物があった部分でしょうか。

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案内板も設置されていました

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この水平面の背後には主郭へとつながる尾根斜面があります。

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この尾根斜面の途中には何段も小さな水平部があり、柵でも設置していたのでしょうか。

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両側は沢があり切り立った斜面になっています

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頂上の細長い主郭部

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