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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう ほとんど気楽な食レポが多いですが北海道内のダム訪問・ダムカード収集・神社訪問・御朱印収集にも目覚めてしまいました。


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【御朱印】富良野市 富良野神社

富良野神社(ふらのじんじゃ)は北海道富良野市若松町17番6号にある神社で旧社格は郷社。御祭神は開拓三神である大國魂神(おおくにたまのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)で例祭日は8月25日。

 上川南部の中心的な存在の神社で富良野市街地の2つの国道が交わる交差点近くにあります。境内は細長く参道も同じく長いですがアスファルト舗装になっていて歩きやすく、キレイに整備された神社です。

 当日は晴れていたのですが、神社についた途端に雨が降り喜ばしいことですね。私は参拝の時に降る雨は歓迎する方で、清めの雨として心静かに落ち着いて参拝できるので好きです。また歓迎されている気持ちにもなれますしね。

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富良野市

 かつては広大な領域の富良野村の一部でしたが、1900年(明治33年)上富良野~下富良野(現在の富良野駅)間の鉄道開通すると急速に入植が増え、 1903年(明治36年)富良野村南部の下富良野村(現在の富良野市)とし分村されて誕生しました。同時に富良野村は上富良野村と改称。

 富良野盆地内でも中心的な地域になっていき人口も増えて、1919年(大正8年)4月1日に二級町制施行し富良野町に改称します。

 富良野の地名由来はアイヌ語でフラヌイ<hura-nu-i>臭気・を持つ・もの(川)〈この名は富良野川がもとであった。松浦氏は「川はの源が現在の十勝岳であるため、臭気が鼻をつき」と書いた。〉が転訛したものです。

 現在の富良野市は、上川南部を代表する観光の中心的都市でもあり、農業に於いてもスイカやメロンはフラノブランドを代表する産地となっています。

大正8年測図地形図

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富良野神社

以下は北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 明治35年、開拓の先人達が心の拠り所として頭無川の東端堤防敷地に小祠を建立し、国土生成の祖神大國魂神、大己貴神、少彦名神を御鎮祭したのが始まりで明治40年に現在地に御奉遷、大正8年には村社に列格され、昭和11年に現在の御社殿を御造営、同15年に郷社に昇格、次いで県社昇格を直前に大東亜戦争の終戦を迎えた。戦後は人々の価値観が大きく変貌し厳しい情勢の中氏子会を設立し、氏子崇敬者一丸となって社務所を始め境内諸施設の新設又は改築、屋根銅板葺替等社殿の修復、境内社2社の御造営、境内の整備充実等御社頭の面目を一新した。平成14年には御創祀100周年を迎え、厳しい経済情勢の中役員氏子の努力により多額の募財を集め、老朽化著しい社務所・職舎の全面改築、社殿・祭器庫の修繕、参道・駐車場の整備、記念碑建立等、記念事業を完遂し、同年7月には献幣使の参向を仰ぎ御創祀100周年を奉祝し記念大祭並びに祝賀式典を盛大に執行した。昭和52年より毎朝の朝拝行事に当たり「北方国土返還貫徹祈願朝詣の集い」を実施、毎年6月より9月まで北方国土の1日も早い返還を氏子と共に祈願、又昭和41年建国記念の日制定以来、実行委員会を組織し「建国を偲ぶ市民の集い」を社務所にて開催、時局問題を取り上げつつ建国だんごを参加者に配布し国の古えを偲ぶ等々、時流に流されない息の長い啓蒙活動も展開している。更に日清日露の戦役より大東亜戦争に至るまで国の礎として散華された英霊、並びに地元の発展に尽くした公歿者を顕彰する戦公歿者慰霊顕彰祭を毎年6月に斎行、遺族会を始め多くの参列者と共に感謝の誠心を捧げている。神社の護持運営面では平成5年に富良野神社協力会を別途発足させ円滑な維持運営の大きな力となっている。以上、氏子と共に諸事業・啓蒙活動を通して上川南部の中心神社として現在に至っている。尚、昭和50年には冬季国体開催に当たり陛下名代の高松宮殿下の正式参拝の光栄に浴し、御社殿前庭には昭和天皇の御製碑が建立されている。
その他 例祭御神幸式では「富良野獅子舞」「富良野弥栄太鼓」が演奏されている。
【所在地】
〒076-0032 富良野市若松町17番6号
電話 0167-22-2731 FAX 0167-23-6640
【例祭日】
8月25日
【祭神】
大國魂神(おおくにたまのかみ)
大己貴神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
【旧社格】
郷社
【境内内外末社】
金刀比羅神社 大物主神 崇徳天皇
稲荷神社(いなりじんじゃ) 稲荷大神(いなりおほかみ) 倉稲魂神 佐田彦神 大宮能売神 田中神

一ノ鳥居の裏面には紀元二千六百年記念とあり1940年(昭和15年)のことです。

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社号標裏には昭和16年11月の年号

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整然と並んだ灯籠が奥行きを感じさせる構図になっています。

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屋根付きの立派な土俵

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この木だけ石で囲われて紙垂(しで)もあります。

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忠魂碑(大正7年11月建立)揮毫は陸軍大将大迫 尚敏(おおさこ なおはる)

もとは尋常小学校校庭にあったものを昭和3年に境内に移設。石工は小樽の人。

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富良野神社御創祀七十五周年記念碑(昭和52年7月建立)

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富良野神社御創祀百周年記念碑(平成14年7月建立)

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立派な樹木がいっぱいです

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手水舎

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石灯籠(昭和11年9月建立)

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小さめの二ノ鳥居

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狛犬(昭和17年6月建立) ガッシリとした体で顔も威厳のある表情

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境内社の金刀比羅神社(左)と稲荷神社(右)

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金刀比羅神社

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稲荷神社

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狛犬は著しく風化が激しくやせ細っています

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 社殿左に楽器庫と奥には神輿庫があり、この神輿庫は大正4年建築の旧拝殿を使用しています。

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御朱印

立派な社務所があり中で声掛けしたら年配の女性に対応していただきましたが、ちょっと機嫌が悪いのか、めんどくさそうなのがモロ顔に出ています (´・ω・`)。。。

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初穂料は300円を納めさせて頂きました。

御朱印ありがとうございました。

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www.moiwa-orosi.com


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