page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

稚内市声問村沼川 沼川神社

沼川神社(ぬまかわじんじゃ)は、稚内市声問村沼川5959-2にある神社で北海道神社庁誌に記載は無く、稚内市史にも無い。御祭神は不明だが後述の資料により例祭日は7月15日と判明。

令和8年(2026)4月30日参拝

沼川地区

明治四十二年(1909)に長野平次郎と宇野山クチャンコロの二戸が、狩猟などによって生活していたが、同四十五年(1912)年には東六線タッツニラウシュナイ川沿いに移住した。
大正二年(1913)年三月、石黒兼次郎が馬を連れて入地したとき、小谷荘吉・伊藤福三郎・栄三郎の兄弟が入地して開墾を始めたという。
また、同三年(1914)にかけて山上富治・渡辺乙吉・伊藤義一・甲谷友吉・加藤久五郎・林美之助・森本喜吉・古木太吉・高橋甚八らの移住者が続き、戸数二六戸を数えた。
大正四年(1915)に上声問私立教授場を開設。同八年(1919)には尋常小学校となった。
大正五年(1916)には岩手団体の一三戸が入植。増幌から上声問の道路の増設が始まり、その道を通って入地してきたという。
大正八年(1919)藤村初太郎が官馬四頭を借り受け、駅逓を開く。鉄道が開通した後でも奥地への交通に果たした役割は大きかった。
大正十一年(1922)十一月一日 鉄道省宗谷本線、鬼志別駅 - 稚内駅(現在の南稚内駅)間の延伸開通(宗谷本線全通)に伴い曲淵駅が開業。(この路線は現在の宗谷本線とは違い浜頓別に迂回するルートであり、後に天北線と改称する。)
平成元年(1989)五月一日 天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる。

沼川の地名由来は和名で『北海道 駅名の起源』に、「付近には『沼』と『川』が相連なっている所が多くあるため命名したとされている。

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き 未だ未開の地であり何もない。

大正12年測図地形図 すでに沼川集落ができ鉄道駅もある

沼川神社

北海道神社庁誌に記載無し、稚内市史にも記載なし。

以下は利尻研究 (28): 69-82, March 2009「宗谷管内所在の狛犬」から

沼川神社(稚内市声問村沼川)
沼川神社の起源は大正7年頃にさかのぼる.当時の寺子屋式の私設教授場に氏神様と称した棒標を立ててお祀りしていたようである.その後,大正11年に国鉄宗谷本線が開通した折に,沼川地区の神社として建立された.例大祭は当初,秋に行われていたが,天候や農作業の関係から現在では7月15日になっている.
狛犬(図 9)は,御影石(花崗岩)を石材として使用しており,白くて堅固,保存状態は良好である.目と歯を白く彩色し,目には水色の瞳を描き込んでいる.毛先が大きく巻き込んで円盤状となり,歯は平歯,耳は立て耳として表現された現代的な狛犬で,いわゆる「岡崎様式」に分類される.昭和53年に居島芳松・リン夫妻によって奉納された.居島夫妻は沼川地区開拓の草分け的存在で,神社との関わりの深い方だったと伝えられている.
年代:昭和53年(1978)
奉納者:居島芳松・居島りん
銘文:昭和五十三年六月 居島芳松 昭和五十三年六月 居島りん
狛犬様式:岡崎

【由緒】
上記資料から、沼川神社の起源は大正7年頃にさかのぼる.当時の寺子屋式の私設教授場に氏神様と称した棒標を立ててお祀りしていたようである.その後,大正11年に国鉄宗谷本線が開通した折に,沼川地区の神社として建立された.
【所在地】
〒097-0000 北海道稚内市声問村沼川5959-2
【例祭日】
7月15日
【祭神】
不明
【旧社格】
なし

鳥居がある方が表参道

裏参道から

ステンレス流し台の手水舎

馬頭観世音菩薩(昭和八年八月吉日建立)

社殿及び灯籠・狛犬は裏参道正面を向いています

石灯籠一対(平成二十九年六月吉日建立)

 

古めの石灯籠一対(建立年不明)と狛犬一対(昭和53年6月建立[算用数字久し振りに見た])

 

 

左手にある乳牛感謝之碑(昭和二十九年七月一日建立))

 

拓墾碑(裏面には竣工記念 国営沼川地区総合農地開発事業 道営東沼川地区草地整備改良事業 台座名簿碑に平成三年八月竣工とある)

 

 

多分社殿改築の際、表参道に向いていた旧社殿を残したまま建築したので新社殿は裏参道に向いていると想像。

www.moiwa-orosi.com