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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

稚内市声問村曲渕 曲渕神社

曲渕神社(まがりふちじんじゃ)は、北海道稚内市声問村曲渕にある神社で御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)例祭日は6月だが何日かは不明。

令和8年(2026)4月30日参拝

神社は平成14年(2002年)に閉校した旧曲渕小中学校校舎の右隣にあり、神社周辺の草地は鹿の糞だらけで歩くのはちょっと大変^^;

曲渕地区

曲渕にはかつて2つの炭鉱があり、炭鉱の町として栄えていましたが閉山後は鉄道も廃止され、現在は僅かな集落が残るのみとなっています。

大正四年(1915)鉄道敷設の測量が始まると、埼玉・秋田・長野県から移住者が入る。
大正六年(1917)岐阜団体・相馬団体・岩手団体・福島団体などが入植。
開拓地は、東八線から東三線までの地に散らばった。このころ、開拓地は線や号と名付けたところで、まだ曲渕の地名は出てこない。
大正十一年(1922)四月、上声問尋常小学校附属曲渕特別教授場設立
同年十一月一日 鉄道省宗谷本線、鬼志別駅 - 稚内駅(現在の南稚内駅)間の延伸開通(宗谷本線全通)に伴い曲淵駅が開業。(この路線は現在の宗谷本線とは違い浜頓別に迂回するルートであり、後に天北線と改称する。)
曲渕で一番最初の炭鉱は、昭和八年(1933)曲渕の星野精一郎が豊別五線の沢で横穴式炭鉱を始めたのが最初で、豊別炭鉱といった。
昭和十年(1935)釧路炭砿株式会社稚内炭砿が開鉱。昭和十五年(1940)宮崎芳作が譲り受け、昭和十七年(1942)二月に宮崎を社長とする天北石炭鉱業株式会社が創立され、大規模な採炭が開始された。(昭和三十三年に閉山)
稚内炭鉱のある曲渕の空いている土地には、至るところが炭鉱住宅で埋まり、その戸数も四〇〇戸を超え、商店・飲食店などが立ち並んで賑わった。
昭和十五年(1940)三井栄一が三井鉱業宗谷炭砿を設立。宗谷炭鉱(株)宗谷曲渕炭鉱が開鉱(昭和三十八年に閉山)
平成元年(1989)五月一日 天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる。

曲淵の地名由来は和名で『北海道 駅名の起源』に、「この付近を流れる川がふちをなして、たいへん曲がっているので」命名したとされている。

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き 未だ未開の地であり何もない。

大正12年測図地形図 すでに曲渕集落ができ鉄道駅もある

曲渕神社

北海道神社庁誌 第二章神社本庁包括外神社 三.未公認神社の項から

【由緒】

明治四十三年に登尾文吉・横井金太郎らを中心とに始まる。大正三年に福沢農場内に奉遷、同七年九月に基線第一〇線の共有地に八幡神社の遥拝所を建立したことに始まる。五日に農場長が私費で改築している。

​参考文献 『稚内市史』

【所在地】
〒098-6571 稚内市声問村曲渕
【例祭日】
6月○日
【祭神】
誉田別命(ほんだわけのみこと)
【旧社格】
なし

Googleマップの位置は間違えています。(修正依頼しても受け付けてくれない)

どうやら修正された模様である

小さい神社にしては鳥居が二本連なっており、それぞれに扁額もある立派なもの

ちょっと珍しい馬魂碑では無く愛馬忠魂碑の名称(昭和十七年八月建立)

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