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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】天塩郡遠別町 遠別神社

 遠別神社(えんべつじんじゃ)は、北海道天塩郡遠別町本町5丁目13番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は建御雷神(たけみかつちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比賣神(ひめかみ)で例祭日は7月15日。

 神社は市街地内にあり右隣に遠別小学校、左側に真宗大谷派 玄明寺、後に遠別農業高校に囲まれた比較的細長い境内です。参道の中程左側に駐車場があります。

遠別町

 遠別町は留萌管内であるが、隣の天塩町と同様に国の出先機関及び民間の金融機関は稚内に拠点を持つ地域となっています。

また町の歴史としても留萌地方沿岸のまちとしては江戸時代のニシン漁場としての発展がなく、砂浜で北前船が付けにくい場所だったかもしれません。

1887年(明治20年)7月  白幡源太郎が富士見海岸で漁業を始め、農業にも従事(記録が残る最初の人物)
1897年(明治30年)4月  越前団体(現:福井県)が共栄地区に入植〔遠別町の開基〕
1903年(明治36年)4月  天塩村(現:天塩町)から分村、天塩郡遠別村が発足
1919年(大正8年)4月  北海道二級町村天塩郡遠別村となる
1949年(昭和24年)4月 町制施行により天塩郡遠別町となる

 遠別の地名由来はアイヌ語ですが、意味の解釈には諸説あるようでして一般的に広まっているのが、wen-pet(ウェン・ペッ=悪い・川)説で東西蝦夷山川地理取調図にはウエンベツ、北海道駅名の起源(S48国鉄北海道総局)にもアイヌ語の「ウエン・ペツ」(悪い川)から出たもので、ここの川は水質が悪く、飲めないため名づけたものである。

ただ反対意見も多く、山田秀三「北海道の地名」では上記のことは疑問に思っていて、ただし古くは少し違ってウエペツと呼ばれていたらしい点が問題なのである。上原熊次郎地名考は「ウエベツ。即ち二股の川と訳す。エベツとは二た口、亦は川の二股なご申す事にて、この川口二筋なる故、字になすと云ふ」(抄)と書いた。少し後の蝦夷地名解(函館図書館蔵)も同じく「ウエベツ」で、エベツを二た口と読んだが、「此川二筋の所、水口一つなり。故に此名有」と解した。永田地名解は「ウ・イェ・ペッ。相・話する・川。天塩山中の土人海浜に出で来りて此処の土人と相話するを楽しみとす。因て名く。和人ウェンベツと称するは誤りなり。元禄十三年松前島郷帳にはウイベツとあり」と書いた。後にウェンベツと呼ばれたらしいのであるが、これからみると、古くはウエベツの形の地名であったらしくみえる。ただし、それをどう読んだらよいのか、なお研究の余地がありそうである。」とあります。

1702年(元禄15年)元禄郷帳に「ういべち」とあるほか、1720年(享保5年)蝦夷志「ウイヘチ」、享保十二年所附に「うい別」、1797年(寛政9年)蝦夷巡覧筆記「ウヱベツ」、1834年(天保5年)天保郷帳 にテシホ持場のうちとして「ウヱンベツ」がみえる。

東西蝦夷山川地理取調図から 「ウエンベツ」とあります

明治の北海道実測切図_1890(明治23)~には意外にも古い読み方のウイェペッとあります

大正12年測図地形図

遠別神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治中頃富山県人泊勝太郎が神宮大麻を洞窟に安置し、祭祀するを嚆矢とする。大正4年奈良春日神社の御分霊を奉斎して10月31日遷座祭、大正11年8月25日社殿建設、昭和2年5月5日遠別神社創立許可。昭和6年10月15日村社に列せられた。同7年8月25日神饌幣帛料供進神社に指定。同13年10月14日正遷座祭執行(現社殿) 同28年2月16日宗教法人認証。平成元年6月30日神社改修工事完成。同2年7月1日第6期神社振興対策指定神社。同3年9月24日参道舗装。同5年6月30日御神輿庫祭具庫完成。同5年7月1日第7期神社振興対策指定神社。同6年6月28日参道ブロック張完成。同8年7月1日第8期神社振興対策指定神社玉垣竣工。
【所在地】
〒098-3543 天塩郡遠別町字本町5丁目13番地
【例祭日】
7月15日
【祭神】
建御雷神(たけみかつちのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比賣神(ひめかみ)
【旧社格】
村社
【社宝等】
神輿(3番型)(昭和27年7月)

 

一ノ鳥居と円形の社号標

手前に石灯籠一対(建立年不明)

手水舎

手水石(献納 水舎一棟 水鉢 一基 昭和十六年 早川徳三郎)

 

石段途中に石灯籠一対(建立年不明)と上部に二ノ鳥居

新しい狛犬一対(奉納年不明、献納 氏子一同・(株)岐阜墓石工業)

 

 

石灯籠一対(昭和十三年建之 早川徳三郎)手水石の奉納者と同じ人物です

 

狛犬一対(昭和十三年建之 川勝幸太郎)

 

 

境内右手に彰功碑(裏面の建立年の文字が潰されていて正しい建立年は不明だが、潰された文字の隣に後で入れたと思われる文字があり昭和二十三年八月建之とある。

  

隣に戦没者追悼五十周年記念碑(平成六年九月二十六日建之)と戦没者芳名碑

 

御朱印

御朱印は基本書置きで社殿内右手に置いてあります。

切絵御朱印は初穂料1000円、通常版は初穂料500円でした。

初穂料は賽銭箱に投入してください。

 

 

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