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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

苫前郡羽幌町焼尻 焼尻厳島神社

 正式名称は厳島神社(いつくしまじんじゃ)だが、アチラコチラにあることから便宜上、地名を付けた形で以降呼ぶこととします。

焼尻厳島神社(やぎしり いつくしまじんじゃ)は、北海道苫前郡羽幌町焼尻緑岡4にある神社で旧社格は村社。御祭神は市岐島姫命(いちきしまひめのみこと)で例祭日は6月11日。

GW連休中は4便あるのでチャンスと思い、自宅を朝4時に出発し羽幌港朝8時発の高速船に乗り込み(要予約)約35分で焼尻港着。神社は焼尻港から徒歩経路約700mの段丘上にあり結構な標高差があって、Googleマップで徒歩12分に騙されました(笑)

次のフェリーの時間(約1時間後)もある関係上からノンビリ歩くわけにもいかず、参拝後は長い下りで靴の中は足のつま先がぶつかり痛い思いもしました・・・

焼尻島

焼尻島は苫前郡羽幌町の西約25キロメートルに位置し、ニシン漁など漁業の島として発展してきた歴史を持ちます。武蔵水道を隔てて西方にある天売島とともに羽幌町に属し、両島は暑寒別天売焼尻国定公園に指定されています。島のおよそ3分の1が原生林に覆われ、「焼尻の自然林」として1983年(昭和58年)8月30日に国の天然記念物に指定されています。気候は対馬海流の影響を受けるため道北の内陸部に比べると温暖である一方で、冬期は湿潤寒冷であるため積雪量は多く北西の季節風も強いです。

14世紀ごろ - マシュケアイヌにより焼尻漁場が支配される。
1822(文政5)年 - マシュケアイヌ200人が定住し、ニシン漁に携わる。
1786(天明6)年 - 六代栖原角兵衛、幕府よりヤンゲシリ漁場請負を命ぜられる。
1848(嘉永元)年6月27日 - アメリカ人ラノルド・マクドナルド(Ranald MacDonald)、焼尻に漂着。
1855(安政2)年 - 秋田藩の管理地となる。
1859(安政6)年 - 庄内藩の支配地となり、焼尻でのアイヌと和人の交易は庄内藩がトママイ場所で管理。
1868(明治元)年 - 明治維新により困窮した水戸藩の支配地となる。
1876(明治9)年 - 苫前村より焼尻村が独立。
1879(明治12)年 - 郡区町村制が定められ、焼尻村、天売村戸長役場を焼尻に設置。
1902(明治35)年 - 天売村戸長役場が、焼尻村から独立設置される。
1906(明治39)年 - 焼尻村二級町村施行。
1959(昭和34)年 - 羽幌町に編入。

 焼尻の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、

エハンケシリ<ehanke-sir?>近い・島 ヤンケシリ。アイヌ語エハンケシリの略語なるべし。この所テウレ遠くにあり。故にこの名有。蝦夷地名解(市立函館図書館蔵・上原熊次郎より後の通詞の書らしい。)

〈ヤンケは「揚げる」という普通の地名用語だが、その意味の伝承は聞かれない。〉{エハンケシリは天売と焼尻の2島が並んで位置しており、陸地から見ると天売より焼尻が近いためという解釈と思われる。}〈山田秀三地名考〉

「東西蝦夷山川地理取調図」 松浦武四郎 安政六年

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正12年測図地形図

焼尻厳島神社

以下は北海道神社庁サイトから。
嚴島神社
【由緒】
 文化元年島内東浜に弁天社として創祀されたと伝わる。明治8年村社と公称、昭和に入り現在地へ遷座、社殿を造営する。大正9年12月神饌幣帛料供進神社に指定され昭和11年社殿を改築した。昭和21年宗教法人設立、現在に至る。(社務所火災により関係書類消失の為、詳しい造営時の資料その他現存せず)
【所在地】
〒078-3871 苫前郡羽幌町大字焼尻字緑岡4番地
【例祭日】
6月11日
【祭神】
市岐島姫命(いちきしまひめのみこと)
【旧社格】
村社
【社宝等】
鳥居 脚(町指定・天保15年 1844年)
鰐口(町指定・文政13年 1830年作)

一ノ鳥居と手前に石灯籠一対

鳥居裏面:大正二年五月建之、奉納 氏子一同

 

石灯籠銘板には大正二年五月建之とあり鳥居と同年である

 

社号標:村社嚴島神社、紀元二千六百年記念 奉納 市国豊次郎

昭和15年(1940年)のことです

 

頌徳碑 志水要君 衆議院議員 佐々木秀世書

昭和43年8月10日建之 焼尻島有志一同

志水要氏は元焼尻村長のこと

 

手水鉢

奉納 鰊漁業者 経営主一同 熊谷 重三 泉谷 久吉 山守 政男 堺 富蔵

昭和二十六年 十一月吉日

昭和26年はニシン漁全盛期の終わり頃で昭和30年代になると激減します。

 

狛犬一対(奉納年不明)出雲式「構え獅子」

注連柱かと思ったら、どうやら笠木や貫が欠落した鳥居みたい

奉寄進 天保十五年辰三月吉日 ※天保15年は1844年のこと

惣番人中 山内 多三郎

  

そんな古い鳥居は見当たらなかったような…

手水石

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