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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】赤平市平岸 平岸神社

平岸神社(ひらぎしじんじゃ)は、北海道赤平市平岸仲町2丁目にある神社で神社本庁包括外神社の未公認神社。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)で例祭日は9月16日。

神社は国道38号から社会医療法人博友会 平岸病院の中通りを真っすぐ行った先にありました。

平岸地区

1895年(明治28年)三重団体赤平平岸地区に入植
1913年(大正2年)11月10日、国鉄平岸駅が開業
空知川対岸の豊田炭礦、大谷炭礦(後の大谷沢炭礦)の積み込み駅となる
1943年(昭和18年)5月、「中小炭鉱整備令」により豊田炭礦及び大谷沢炭礦閉山。
同年10月、軍需工場の北海道炭素工業及び日本油化工業の工場建設。
1950年(昭和25年)3月、北海道炭素及び日本油化、工場解散。
1952年(昭和27年)1月12日、三菱鉱業系の北菱産業平岸炭礦開坑。
1963年(昭和38年)3月25日、北菱平岸炭礦閉山。

【明治28年の赤平市平岸への入植】
 幌向原野への団体移住に成功した三重団体長の板垣贇夫は、第2次として空知川沿いへの入植を計画し、広く三重県下に呼びかけた。第2次の団体には三重県北部のほか、隣の愛知県からの参加者も含まれていた。

 赤平市域の空知川左岸は、2つの農場と2つの団体によって開拓が進められたと言われており、三重団体はその一角を占める

板垣 贇夫(いたがき よしお、1858年2月12日〈安政4年12月29日〉 - 1919年〈大正8年〉2月7日)は、三重県から移住して北海道各地を開拓した「三重団体」の団体長。南幌町三重・岩見沢市御茶の水町・ 赤平市平岸・苫前町九重・上富良野町・芦別市西芦別町の各地の三重団体入植を成功させたが、持病の喘息に悩まされたこともあって後半生は表舞台を退いてひっそりと暮らす。1918年(大正7年)8月の開道五十年祭にて、本道拓殖功労者130名のひとりとして選彰される。1919年(大正8年)2月7日、芦別町野花南で暮らす次男の森川殖のもとにて、64歳で没した。

 平岸の地名由来は札幌市平岸と同じアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。
ピラケ <pira-kes> 崖の下手〈崖・の末端〉〈この辺は川崖が続いているので、どこがそこだったのか分からない。〉北海道駅名の起源〈山田秀三補足説明〉

大正6年測図地形図

平岸神社

以下は、北海道神社庁誌(1999)神社本庁包括外神社-未公認神社の項から。
【由緒】
 明治二十八年四月、三重県団体、板垣贇夫を団長として、上平岸に入地、故郷出発に先立って皇大神宮に参拝し無事安泰を祈願し、天照大神の御神符を受け、神社を現在の遊園地の西側空知川沿岸に建立、なお伊勢から杉皮を送ってもらい明治三十八年七月一日現在の本殿を建立、平岸神社と称した(当時の氏子名簿に依り四九戸家族共に二九七名)平成八年九月二十八日社殿新築完成する。現在氏子数は三八〇戸である。
【所在地】
赤平市字平岸
【例祭日】
9月16日
【祭神】
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

鳥居の扁額

左手に馬頭観世音堂

 

開拓碑(上部の碑は明治44年6月15日建立)

 

手水舎(奉納日不明)

 

2本の松は御神木かな

狛犬一対(昭和56年9月建立)

 

御朱印

お賽銭投入口に何枚か書き置きがありました

 

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