page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】紋別郡雄武町 雄武神社

雄武神社(おうむじんじゃ)は、北海道紋別郡雄武町字雄武1485番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で例祭日は7月17日。

神社は役場の通りを真っすぐ行った丘の上にありました。

雄武町

江戸時代は松前藩のソウヤ場所域内で番屋があった。
1872年(明治5年) 雄武村の設置。
1915年(大正4年) 紋別郡雄武村、幌内村、沢木村が合併、二級町村制、紋別郡雄武村
1935年(昭和10年)9月15日 国鉄興浜線(こうひんせん)興部~浜頓別の一部区間として、興部~雄武間に国鉄興浜南線(こうひんなんせん)が開業する(雄武駅以北の北見枝幸間は太平洋戦争の拡大により未着工、北見枝幸~浜頓別は興浜北線として1936年(昭和11年)7月10日に先行開業している)
1941年(昭和16年)5月16日 幌内地区で山火事発生。約59.5キロ平方メートルが焼失。
1948年(昭和23年) 町制施行、雄武町となる。
1954年(昭和29年)5月23日 77戸を焼失する大火。死者1人。
1972年(昭和47年)5月25日 再び大火に見舞われる。幸町の商店から出火し強風にあおられて延焼、47棟焼失。
1985年(昭和60年)7月15日 国鉄興浜南線の全線廃止


 雄武の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。
オムイ<o-mu-i> 川尻・塞がる・所 暴風雨の時川尻が塞がる川だったため。 永田方正地名解
オム<o-mu>川尻・塞がる 雄武川は流長22キロの川であるが、風や潮流で砂が川尻をふさぐことがあったのでこの名で呼ばれた。 山田秀三地名考

ちなみにかつてあった国鉄雄武駅は”おむえき”と呼びます。

平成22年国勢調査では町となる人口要件の5千人を下回る4937人であり、令和2年では4199人と年々下がってきているが、財政破綻した夕張市(5千人以下)を見てもわかるように市から町あるいは村になった事例はなく、このまま町で居続けられるであろう。

「東西蝦夷山川地理取調図」 松浦武四郎 安政六年

大正12年測図地形図

雄武神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 雄武神社の創立は明治18年青森県人が雄武に来住しオホーツク海に於て漁場を経営するに当りて海浜を一望する丘に小祠を建て豊漁を祈願したことに始まる。昭和10年に村民各位の力に依り今の地に社殿を建立して雄武の町の産業である林業・漁業・酪農業の発展を祈願致し敬神崇祖の観念を涵養するために我が国民の斉しく尊崇敬仰する天照皇大神を主神とし、又雄武の発祥の古きより祀る市杵島姫神を配神として民心の緩和を図り、村内の発展を祈らんとして昭和11年に現在地に神社を建立した。
【所在地】
〒098-1702 紋別郡雄武町字雄武1485番地
【例祭日】
7月17日
【祭神】
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
【旧社格】
村社

戦没者慰霊碑(昭和61年8月10日建立)元々は忠魂碑だったものを改修したのか?

 

手水舎

 

破損した石灯籠一対(昭和11年8月建立)

 

 

お祭りや正月に開く授与所

狛犬一対(紀元二千六百年記念とあるが実際の建立年は不明)

 

 

 

 

御朱印

 

www.moiwa-orosi.com