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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】紋別郡興部町 興部神社

興部神社(おこっぺじんじゃ)は、北海道紋別郡興部町興部1066番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)、大己貴大神(おおなむちのおおかみ)、少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)で例祭日は9月10日。

 神社は市街地外れの興部川左岸高台にあり、近くには興部公園と公衆トイレ付き駐車場がありますので、そこに駐車して参拝。
境内は樹木に囲まれひっそりとしており、藪の奥でバサバサ音がするとビビって心臓にも悪いです(汗)

興部町

1899年(明治32年) 興部神社の創設。
1915年(大正4年) 紋別郡瑠橡村(るろち)、沙留村(さるる)、興部村が合併、二級町村制、紋別郡興部村が発足。
1921年(大正10年)3月25日 鉄道省名寄東線として中湧別~興部間が開業
         10月5日 鉄道省名寄西線として上興部~興部間が延伸開通し、両線は名寄線となる。
1923年(大正12年)11月5日 線路名を名寄本線に改称
1925年(大正14年) 紋別郡西興部村が分村
1935年(昭和10年)9月15日 国鉄興浜線(こうひんせん)興部~浜頓別の一部区間として、興部~雄武間に国鉄興浜南線(こうひんなんせん)が開業する(雄武駅以北の北見枝幸間は太平洋戦争の拡大により未着工、北見枝幸~浜頓別は興浜北線として1936年(昭和11年)7月10日に先行開業している)
1985年(昭和60年)7月15日 国鉄興浜南線の全線廃止
1951年(昭和26年) 町制施行、興部町となる。
1989年(平成元年)5月1日 JR名寄本線が廃線

 興部の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。

オウコッペ <o-u-kot-pe> 川尻の合流する所〈川尻・互いに・くっつく・もの(川)〉
〈興部川と藻興部川が並流して町の西部を流れていて、その川尻は約4キロも離れているが、昔は砂丘の後を流れて合流してから海に注いだこともあって、この名が残ったのであろう。〉〔興部町史も同説。〕永田方正地名解〈山田秀三補足説明〉

大正12年測図地形図

興部神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 本町開拓の草創である明治32年9月、住民の総意を結集し、富山県移住団体長堺井常右衛門らが発起人となり、興部原野(北興)に小祠を建立し、天照大神を奉斎したのが創祀とされている。その後社殿を市街地に移転することとなり、大正初期、現在の緑ヶ丘の土木現業所附近の丘に社殿を新築し4ヶ年間祭典を執行した。その後大正4年現在の幸町国道の跨線橋下附近に社殿を移し、大正8年現在地の宮下町宮ヶ丘に移転した。昭和5年神殿1棟を新築し参道も山側より市街側に新設し同年札幌神社の御分霊を奉斎した。その後米田千松ほか204名が連署の上神社創立を出願、昭和10年6月18日承認された。昭和14年2月、紀元二千六百年記念事業として改築を決定し、総工費1万8千円で旭川市の平山久造に工事を依頼し、昭和15年10月9日竣工した。同年9月村社に列格、続いて同年10月神饌幣帛供進指定神社となった。
【所在地】
〒098-1600 紋別郡興部町字興部1066番地
【例祭日】
9月10日
【祭神】
大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)
大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)
【旧社格】
村社

鳥居裏には紀元二千六百年記念とあり、その下には奉納者名

建立年は紀元二千六百年記念事業の昭和15年10月か

社務所は無人

功徳碑(大正12年7月建立、興部消防組合〔誰の功徳を賛えているのかは不明〕)

 

手水舎(手水鉢の奉納年不明)

 

石灯籠一対(昭和9年9月10日建立、興部市街南二部納税組合一同)

 

行啓記念碑(大正11年7月16日建立)

 

狛犬一対(昭和9年9月10日建立、興部市街西一部納税組合一同)

 

 

 

石灯籠一対(昭和40年5月建立、明治38年生巳年会)

 

忠魂碑(昭和3年9月建立、台座には講和発効記念〔昭和27年7月15日〕)

 

 

相馬大神碑 昭和36年9月9日 興部町馬事振興会建之

 

御朱印

賽銭箱に書き置きがあります

雄武神社で日付記入していただきました。

www.moiwa-orosi.com