page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】紋別市 紋別厳島神社

正式名称は厳島神社(いつくしまじんじゃ)だが、アチラコチラにあることから便宜上、地名を付けた形で以降呼ぶこととします。

紋別厳島神社(もんべつ いつくしまじんじゃ)は、北海道紋別市花園町1丁目6番4号にある神社で旧社格は郷社。御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で例祭日は8月15日。

紋別港から真っすぐ延びる道の先の比高の高い場所に神社はあり、思ったほど境内は広くはありませんでした。

紋別市

もともと、現紋別港一帯はノトロ、ヲン子ノトロ、トマリなどと呼ばれていたが、1790年(寛政2年)、場所請負人の村山伝兵衛が「モウベツ」からモンベツ場所の中心を移し、漁番屋を開設したことから、紋別港一帯が新たに「モンベツ」とよばれるようになったといわれる。

1855年(安政2年) 蝦夷地が江戸幕府の直轄管理下に入り、秋田藩が紋別を含む西蝦夷地の警備担当となる。
1859年(安政6年) 久保田藩に代わり会津藩が、紋別を含む西蝦夷地オホーツク海沿岸地域の警備担当となり、モンベツ出張陣屋が設置される。会津藩の役人が赴任し、幕府の役人も派遣される。
1880年(明治13年) 紋別村外9か村戸長役場が設置される。(この年を紋別市の「開基の年」とする。)
1897年(明治30年) 紋別村外9か村戸長役場から湧別村戸長役場(現湧別町)が分離する。
1900年(明治33年) 渚滑村が渚滑村戸長役場を設置し、分離・独立する。
1909年(明治42年) 藻鼈村(もべつ)と紋別村が合併し紋別村となる。このときに沙留村と瑠椽村を分離する。
1919年(大正8年) 紋別村が町制施行を行い、紋別町となる。
1921年(大正10年) 紋別町が一級町村制を施行する。
1954年(昭和29年)7月1日 紋別町・渚滑村・上渚滑村の1町2村が合併し市制施行を行い、紋別市となる。
1966年(昭和41年) 紋別空港完成
1999年(平成11年)10月10日 紋別空港、新空港に移管のため廃止。
1999年(平成11年)11月11日 オホーツク紋別空港開港。

 

 紋別の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。

紋別(モンベツ)モペッ<mo-pet>藻鼈川 東にある藻鼈川から出たもののようである。山田秀三地名考

以下は元地名の由来となる藻別(藻鼈川)について。

藻別(モベツ)モペッ<mo-pet>静川、〔静かな・川〕川の流れが早くなく、古より疫疾が発生しなかったため。紋別市街から約2キロ東の藻鼈川筋の地名。〈この川口の辺が遅流なので、その名がついたのであろう。〉永田方正地名解〈山田秀三補足説明〉

「東西蝦夷山川地理取調図」 松浦武四郎 安政六年

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正12年測図地形図

紋別厳島神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治9年当地漁場請負人村山伝兵衛が創祀、明治30年に無格社、大正7年村社、昭和3年郷社、昭和21年宗教法人設立、北見開拓の神社として北見の国魂神と云う。
【所在地】
〒094-0015 紋別市花園町1丁目6番4号
【例祭日】
8月15日
【祭神】
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
【旧社格】
郷社

以下は、北海道神社庁誌から。
【境内外摂末社】
三吉神社:大己貴之大神(おおなむちのおおかみ)、少彦名之神(すくなひこなのかみ)
稲荷神社:豊受稲荷之神(とようけいなりのかみ)、保食之神(うけもちのかみ)
祖霊社:大食津比売之神(おおげつひめのかみ)

 

由緒では明治9年村山伝兵衛が創祀となっているが、弁天社が始まりなことは間違いなく、神社庁的には弁天社は「村山家の内神」という理由で御祭神を弁財天から市杵島姫命とし厳島神社と改称したのを創祀としたのであろう。

1740年代(寛保年間)にソウヤ場所請負人村山伝兵衛により創建されたともいう(状況報文)。弁天岬に祀られ、弁天社と称された。松浦武四郎は弁天社について「華表、石とうろう有」(「蝦夷日誌」二編)、「弁天社一棟美々敷立たり」(廻浦日記)と記している。明治9年(1876年)厳島神社と改称(紋別市史)。

そして20万分の1北海道実測切図には辯天岬に神社記号が見えコレを裏付けるものと思われる。

 

 

両部鳥居の一ノ鳥居

社号標(昭和11年8月建立)

 

石灯籠一対(大正5年5月建立)

 

石灯籠付きの句碑

 

古木

二ノ鳥居(右:奉納 昭和十四年四月吉日 左:住友鴻之舞鑛山鑛愛會)

 

石灯籠一対(建立年不明)

 

手水舎(水盤には創立〇〇周年記念、紋別信用金庫、年月日)

 

狛犬一対(昭和42年8月建立)

 

 

狛犬一対(昭和16年8月吉日建立)

【境内社】 三吉神社

狛犬一対(大正6年8月建立)構え獅子型だが風化が進んでおり、阿形の狛犬の顔は損壊している。

 

 

 

石灯籠一対(昭和10年5月28日建立)

 

石灯籠一対(昭和17年8月建立)

 

歌碑

手水石(奉納年不明)

左から「三吉神社」、「稲荷神社」、「祖霊社」が並ぶ

境内社 三吉神社:大己貴之大神(おおなむちのおおかみ)、少彦名之神(すくなひこなのかみ)

境内社 稲荷神社:豊受稲荷之神(とようけいなりのかみ)、保食之神(うけもちのかみ)

境内社 祖霊社:大食津比売之神(おおげつひめのかみ)

紋別開發功労者之碑(昭和24年8月1日 開町七十年記念建之 紋別町長大西眞平)

 

忠魂碑(昭和3年建立 帝国在郷軍人會紋別町分會) 名板設置は平成7年6月15日 365柱の英霊を鎮魂す

 

故中尾学君殉職之碑(昭和29年10月建立、台座修復平成3年10月)

北海道開発局網走開発建設部職員で昭和28年12月21日に紋別港修築工事に伴い採石場にて石材爆破採取の事故で殉職。神社の山側にはかつて採石場がありました。

 

御朱印

鳥居左手にある社務所にていただきました

お忙しい中ありがとうございました

 

www.moiwa-orosi.com