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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】紋別郡遠軽町 遠軽神社

遠軽神社(えんがるじんじゃ)は、北海道紋別郡遠軽町宮前町2番地30にある神社で旧社格は村社。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、建速須佐男命(たけはやすさのおのみこと)、品陀別命(ほんだわけのみこと)、建御加豆智命(たけみかずちのみこと)で例祭日は9月18日。

遠軽町郷土館の隣りにある神社で、参道は短いですが境外に一直線に伸びる道路は踏切を渡り国道まで続いており、昔は長かったのでしょうか?

遠軽町

町のシンボル的存在の瞰望岩は近くで見ると圧倒されますね。

 開拓の歴史は道内でも珍しくキリスト教系の信徒が現:遠別町学田に入植したのが始まりで、1896年(明治29年)プロテスタントの日本基督教会(現・日本キリスト教会)が、札幌で活動していた宣教師の信太壽之ら東北学院(仙台市)の神学部出身者を中心に創設した北海道同志教育会のキリスト教徒によって開拓が始まリました。入植後は冷害や大水害に見舞われますが、開拓地の基礎を築きました。

1869年 北見国紋別郡と命名され、和歌山藩の支配地となる。
1875年(明治8年) 紋別郡湧別村の一部となる。
1893年(明治26年) 湧別原野植民地解放。
1896年(明治29年) 北海道同志教育会が結成され、湧別原野第四小作地を学田農場予定地として認可を受ける。
1897年(明治30年)5月7日 北海道同志教育会の入植団30世帯(新潟県・山形県出身)が湧別海岸に到着。学田農場に最初の入植。
1901年(明治34年)2月1日 遠軽郵便局開設(遠軽の地名の起こり)。
1910年(明治43年) 紋別郡湧別村から紋別郡上湧別村(後に上湧別町、現湧別町)が分村し現町域の全域が上湧別村の一部となる。
1919年(大正8年) 紋別郡上湧別村から紋別郡遠軽村として分村し二級町村制施行。
1925年(大正14年) 遠軽村から生田原村が分村。
1934年(昭和9年) 遠軽村が町制施行、一級町村制施行し遠軽町となる。
1946年(昭和21年) 遠軽町から丸瀬布村、白滝村が分村。
1953年(昭和28年) 丸瀬布村が町制施行、丸瀬布町となる。
1954年(昭和29年) 生田原村が町制施行、生田原町となる。
2005年(平成17年)10月1日 遠軽町、生田原町、丸瀬布町、白滝村の3町1村が対等合併。(新)遠軽町となる。

 地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。
インカイ*インカルシ<inkar-us-i >臨眺する所 〈眺める・いつもする・所〉〈西の山からの突出部が駅のすぐそばまで、目のくらむような直立の大岩壁(がんぼう岩)になって出ていて、その突端に展望所が見える。アイヌ時代はそこから見張りをしたものらしい。〉{遠軽町見解も同説。}永田方正地名解 〈山田秀三補足説明〉

大正13年測図、昭和3年鉄道補入地形図

瞰望岩(がんぼういわ)

約700万年前の新生代新第三紀中新世後期、海底火山から噴出した安山岩質の水中溶岩(ハイアロクラスタイト)と火山性の砂岩礫岩の堆積物で形成された遠軽市街地の岩丘で標高160.8m。断崖頂部から地表まではおよそ78mの高さがある。アイヌ人の古戦場となった伝説がある。北海道自然百選選出。国の名勝に指定(名勝地群「ピリカノカ」の一部として)

遠軽神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治37年の日露戦争時、現在の境内地内に楢木の木碑を建て北海道開拓の札幌神社の御祭神を祭って、地域の発展・住民の健勝・戦勝を祈願した。明治45年7月、村役場の指示により明治天皇の病気平癒を祈願したが7月30日に崩御なされたので、今の神社裏手に明治天皇を奉祀する木碑を建て遥拝所にした。その後、大正5年に3.3㎡の神明造神殿を建立し現在の御祭神を奉斎した。翌6年には40㎡余りの向拝付流造拝殿を建立し、自然石の燈籠等も寄進された。大正13年7月17日に内務省から遠軽神社の創立許可を受け、翌14年10月13日に「村社」として列格された。昭和15年、紀元2600年記念事業として新しい社殿の造営を行い、同年11月23日に46㎡余りの神明造社殿(現在の建物)を建立した。また境内にある手水舎・注連柱・鳥居・狛犬・燈籠なども寄進された。昭和23年には御神輿が寄進される。そして平成16年、神社の老朽化が進んだため御創祀100年記念事業として、本殿や社務所などの改修・新築工事を行い現在に至る。
【所在地】
〒099-0406 紋別郡遠軽町宮前町2番地30
【例祭日】
9月18日
【祭神】
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
建速須佐男命(たけはやすさのおのみこと)
品陀別命(ほんだわけのみこと)
建御加豆智命(たけみかずちのみこと)
【旧社格】
村社
【境内外末社】
境内末社 伏見稲荷神社
御祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
由 緒 昭和2年の秋、当時「巌望亭」の女将であった小松タツノ氏が、商売繁盛を祈願して伏見稲荷神社より勧請した。

 

追記:神社庁誌には『合併により合祀された歴史をもつ御祭神』として以下が記されている。
奥社名淵神社 八幡大神 大正7年8月3日創祀 昭和34年8月1日合祀
下社名淵神社 天照皇大神 明治38年6月10日創祀 昭和41年8月10日合祀

 

社号標

鳥居には二代社掌 照井幸助 徳宏潤蒼生と刻まれています

 

石灯籠一対(昭和15年8月建立)

 

記元二千六百年記念とあり紀元の間違いですね^^;

台座が立派な石灯籠一対(昭和10年7月吉日建立)

 

周辺地域の中では一番大きく立派な手水舎でした(水盤の奉納年不明)

 

向かいに社務所

標柱(しめばしら)があり、宣揚文(せんようぶん)は
左:八紘爲宇(天下を一つの家族のようにまとめる)
右:天壌無窮(天地とともに永遠に続くこと)

 

 

狛犬一対(昭和9年7月建立)

 

 

 

境内社:伏見稲荷神社

 

古さを感じる石灯篭一対(建立年不明)

 

手水鉢(コンクリ製、昭和7年8月31日奉納)

 

手水鉢(軟石製、昭和5年8月奉納)

 

神社左手の公園にある忠魂碑(大正12年7月建立)

 

信太壽之翁之碑(昭和10年10月30日建立)

群馬県出身の宣教師。「北海道同志教育会」による開拓の中心人物。

 

薄荷耕作記念碑(昭和32年6月15日建立)

最初は薄荷耕作さんという人物だと思っちゃいました(笑)

ハッカなのね~

 

 

D51 484号機の動輪(遠軽機関区開区45周年記念 52,10・総合庁舎落成記念53,4)

 

キングベッシー M・B・B セニヨーネリーの碑(昭和32年10月12日建立)

遠軽の畜産業に貢献した乳牛種牛「キングベッシーM・B・Bセニョーネリー号」を称えた顕彰碑です。

 

御朱印

書置きを頂いてきました

 

www.moiwa-orosi.com