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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】紋別郡遠軽町生田原 生田原神社

生田原神社(いくたはらじんじゃ)は、北海道紋別郡遠軽町生田原237番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は大國魂神(おおくにたまのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)の所謂開拓三神で例祭日は9月20日。

JR生田原駅から南東500mの高台に神社はあり、森に囲まれた神社さんです

ちなみに今まで「いくたわら」って思ってましたけど、「いくたはら」って呼ぶと知りました。

生田原地区

 現在は遠軽町生田原ですが、遠軽村から分村→生田原村成立→周辺3町1村と合併し遠軽町となることから、古くから遠軽との関わり合いが長い地域です。
生田原地域の9字名は1944年(昭和19年)2月11日、生田原村で実施された字名の整理・行政区との区画不一致解消に伴い改名したもので、大半は当時の村長が神道の「大祓詞(祝詞のひとつ)」に因んだ字名を選び命名されました。

1925年(大正14年)1月、遠軽村(現遠軽町)から分村し生田原村成立。当時の人口は4,767人
1935年(昭和10年)、生田原銅山が発見され、これにより人口が6,000人近くにまで増大。
1954年(昭和29年)4月、町制施行し生田原町となる。
2003年(平成15年)5月14日、生田原町、遠軽町、丸瀬布町、白滝村任意合併協議会を設置
2004年(平成16年)11月、生田原町、遠軽町、丸瀬布町、白滝村との合併調印。
2005年10月1日、上記3町1村が新設合併し「遠軽町」となりました。

 生田原の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。
  タラ<iktara> 笹 川筋に笹が多かったため。 {生田原町史も同説をとっている。}永田方正地名解

知里真志保氏の本(分類アイヌ語辞典)にも笹を表す言葉に
 イタラiktara(ík-ta-ra)=ik(節)tara(連續している)
 イキタラikitara(i-kí-ta-ra)=iki(その節)tara(連續している)
 イクタラikutara(i-kú-ta-ra)=上と同じ
とありますが、この川の支流には浦島内川<uras-oma-nay?>があり、こっちもウラシ=”笹”の事なんだよなあ・・・

生田原神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 草創期は僅かに住民が小祠を建て祭祀を行っていたが、大正7年相謀りて札幌神社に請願し3柱の大神の御分霊を拝戴し神殿を改築し生田原神社として祀ったことに始まる。昭和8年小森七郎より境内地の寄附を受け、昭和9年11月社殿の新築を行い境内諸般の整備がなされた。昭和12年6月神社の社格が認可され、昭和15年村社に列せられる。昭和21年宗教法人生田原神社とし設立され現在に至る。昭和31年8月西生田原神社(未公認)を合祀した 昭和51年11月現在の神社社務所及び宮司住宅を兼ねて建設した。
【所在地】
〒099-0701 紋別郡遠軽町字生田原237番地
【例祭日】
9月20日
【祭神】
大國魂神(おおくにたまのかみ
少彦名神(すくなひこなのかみ)
大己貴神(おおなむちのかみ)
【旧社格】
村社

追記:神社庁誌には境内社として大山神社(大山祇神)が記されている

 

聖徳太子碑(昭和7年5月1日建立)とお社

 

参道左手の斜面下に忠魂碑(昭和8年建立)

 

参道に戻って長い石段を見上げる

上からの眺め

大きめの石灯籠一対(昭和8年5月15日建立)

 

手水舎(手水石の奉納年不明)

 

左手に不明なお社

 

紀元二千六百年記念碑(昭和15年5月建立)

 

傷んだ階段

2つ目の不明なお社

石灯籠一対(昭和15年10月建立 紀元二千六百年記念)

写真は撮影データエラーで復元できず・・・

 

狛犬一対(建立年不明)

写真は撮影データエラーで復元できず。

 

御朱印

無人の神社なので、御朱印は丸瀬布神社にて受けることが出来ます。

www.moiwa-orosi.com