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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】網走郡大空町東藻琴 東藻琴神社

東藻琴神社(ひがしもことじんじゃ)は、北海道網走郡大空町東藻琴25番地にある神社で旧社格はなし。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、大国主神(おおくにぬしのおおかみ)で例祭日は9月15日前の日曜。

東藻琴は国道334号の美幌町と小清水の中間にあり(最初は網走の隣の藻琴より東だと思ったらずっと南の方角でした)、東藻琴集落の西外れの高台にあります。境内はきれいに清掃されていて気持ちの良い神社さんです。

東藻琴

現在は大空町東藻琴ですが、かつては網走郡東藻琴村で1947年(昭和22年)2月11日に網走町(現:網走市)の市昇格時に分村して東藻琴村が出来ました。
2006年(平成18年)3月31日に女満別町と東藻琴村が合併(新設合併)し「大空町」となりました。

 東藻琴の地名由来は和語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。
 東藻琴 藻琴川中上流の土地。網走が市となった時に、ここが分離されて独立の村となった。藻琴川の上流なので、我々が見れば南藻琴と呼びたい所であるが、なぜか東藻琴村と称したのであった。{藻琴川にちなんだ名と思われる。}山田秀三地名考

 藻琴の地名由来はアイヌ語で諸説あり、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。
・モコト<mokoto>小沼{?}この辺は大沼が多く、この沼は最も小さかったためという。永田方正地名解
・ム<muk-to >尻の塞がっている沼〈塞がる・沼〉{ 北海道駅名の起源 昭和25年版}
・ポコット{po-kor-to}→{po-kot-to}子・持つ・沼  モコト即ちポ・コッ・トから出たものである。〈たぶん藻琴沼の南東岸にある、ごく小さな池シュプン・ウン・ト(うぐい魚・いる・沼)に気がついて着想されたのであろう。 mo(小さい、静かな)をポ(po 子ども)と同じように訳される知里博士独特の地名解をここに当てはめられたのであった。〉 { 北海道駅名の起源 昭和29年版} 〈山田秀三補足説明〉 
・モコト *モコット<mokor-to><mokotto> 眠っている・沼 この沼は山に囲まれていて波が静かであるため。 知里真志保地名解

大正13年測図、昭和7年鉄道補入、昭和19年部分修正地形図

東藻琴神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治39年東藻琴小学校前庭に天照皇大神と謹書した木碑を建てたのを創祀とする。
明治44年4月15日天照皇大神の木碑を上東の地に遷座する。大正初期農協第2倉庫附近に大國主神と謹書した木碑を建てた。昭和5年高丘の聖地を神地と卜し現在の地に遷座する。昭和7年御社殿を御造営し、上東の地より天照皇大神を遷座し大國主神を合祀し遷座した。昭和50年9月14日現社殿を御造営し、昭和51年9月3日神社本廳包括神社となる。昭和51年10月14日宗教法人の認証を受ける。平成17年9月15日創祀百年祭を斎行し、社殿・社務所・境内を整備する。
現在の神社境内は鎮座以来、総代・氏子の熱誠により整備され櫻の名勝となり郷土の安全発展と諸災難除けの守護神として、氏子や旧村民の心のよりどころとして崇敬され東藻琴の開拓の歴史とともに尊ばれている。
【所在地】
〒099-3244 網走郡大空町東藻琴25番地
【例祭日】
9月15日前の日曜
【祭神】
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
大国主神(おおくにぬしのおおかみ)
【旧社格】
無し

一ノ鳥居

社号標

二ノ鳥居

石灯籠一対(昭和53年9月15日建立)奉納者:初代村長 吉田三伊〈昭和二十二年より八期在任記念〉

 

 

手水舎 (手水石は昭和50年5月奉納 氏子一同)

 

狛犬一対(昭和60年9月15日建立 氏子一同)

 

 

 

 

社殿左に地神碑

 

境内右手の一段高い場所には

芝桜の季節でした

 

右側から

「魂」鳥獣慰霊碑(平成元年9月吉日建立 北海道猟友会網走支部東藻琴分会)

 

還暦紀念碑(昭和8年夏建立 郷士従七位勲七等 山下岩太郎)

 

藻琴山と七十年豊かな未来 タイムカプセルの碑(開基70年記念で埋設年月日:1977年11月6日)開封予定は2027年11月6日

 

開拓三十年記念碑(昭和11年4月1日建立)

 

御朱印

御朱印は本務社の小清水神社で受けることが出来ますが、不在なことが多く直書きのみ対応の宮司さんなので、運が良ければいただけます。

 

www.moiwa-orosi.com