page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【台場跡】増毛郡増毛町 秋田藩元陣屋第二台場跡

現地には標柱と説明板及び大砲レプリカのみで、遺構らしきものはない。

1855年(安政2年)蝦夷地が再び幕府直轄領となり、マシケには久保田藩(秋田藩)が元陣屋を構え、留萌郡以北は庄内藩が留萌・苫前・天塩に出張陣屋を築き、警固を行った。

第二台場跡は暑寒別川河口左岸高台に秋田藩が異国船対策のために設けた砲台跡の一つです。

現在は地形が掘削平坦化されており、当時は国道左側の高さの段丘面が続いていたと思われる。

増毛町史跡マップから抜粋
17.秋田藩元陣屋第二台場
秋田藩がロシアに対する備えとして設置したこの第二台場にはホイッスル砲1門、和製の大砲が3門備えられていたことが、安政3年(1856年)の資料からわかっています。
ホイッスル砲は当時における最新式の大砲で、砲弾の中にも火薬が詰められており、爆発することで着弾した周囲に被害を与えることができるものでした。
ただし、最新鋭とはいえ、たったの1門では決定的な戦力とはなり得なかったようです。
残る3門の和砲は火縄銃を大きくした簡単な構造で、鉛玉や鉄の塊を飛ばすだけのものでした。
流派がいくつかあり、火薬の扱いなどは秘伝とされていたようです。    
指定年月日:昭和55年7月1日
所在地:増毛町別苅

www.moiwa-orosi.com