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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【陣屋跡】増毛郡増毛町 秋田藩増毛元陣屋跡

1855年(安政2年)に幕府から北蝦夷地の警備を命ぜられた久保田藩(秋田藩)が作った陣屋です。

防衛の拠点である本陣を元陣屋(もとじんや)というのに対して、支所的な存在を脇陣屋(わきじんや)もしくは出張陣屋(でばりじんや)といいます。 

現在、元陣屋跡地には平成8年に「総合交流促進施設 元陣屋」として、郷土資料展示室や図書室、映像体験施設を備えた施設があります。

秋田藩より約50年前には、1807年(文化4年)南下政策を強力に進めるロシア帝国の脅威に備え幕府直轄領となり、1809年(文化6年)津軽藩が増毛勤番越年陣屋を築き警固を行いました。

1821年(文政4年)松前藩領に復帰。

1855年(安政2年)蝦夷地が再び幕府直轄領となり、マシケには久保田藩(秋田藩)が元陣屋を構え、留萌郡以北は庄内藩が留萌・苫前・天塩に出張陣屋を築き、警固を行った。

秋田藩は宗谷と樺太にも陣屋を築いて警備にあたりましたが、こちらは「出張(デバリ)陣屋」と呼ばれ、夏の間だけの警備を行い、冬の間は増毛に戻ってきて越冬することになっていました。

秋田藩は12年間、増毛の元陣屋を中心として警備と開拓を行い、建物は非常に簡素なつくりで、冬の間には多くの凍死者や病死者が出ました。
病気の原因の多くは冬季間の野菜不足による水腫病(現在の壊血病)と言われており、多い年では一冬で30名以上が病気で命を落としています。

指定年月日:昭和53年6月30日
所在地:増毛町永寿町4丁目

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