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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【陣屋跡】増毛郡増毛町 津軽藩増毛勤番越年陣屋跡

標柱と説明板のみですが津軽藩増毛勤番越年陣屋跡として閉店した志満川食堂の脇に立っています。同じ通りにはすぐ近くに国稀酒造があるので分かりやすいですね。

津軽藩増毛勤番越年陣屋跡

増毛町史跡マップから抜粋

 1804年、長崎へ来航したロシアの特派大使レザノフは、日本に対し通商貿易を申し出ましたが、鎖国中であったために拒絶されてしまいます。
このことが引き金となり、彼の部下が樺太や択捉島を襲撃する事件が発生しました。
幕府は北方の事態に危機感を覚え、蝦夷地を幕府の直轄とし、東北諸藩に蝦夷地と樺太の警備を命じるのです。
 しかし、慣れない北の極寒や栄養失調の中、宗谷で越冬中の津軽藩士は次々と倒れ、230名中半数のものが命を落とすという大惨事となります。
そのため津軽藩は、越冬するための陣屋を増毛に築いたのでした。
この頃の増毛は、北方警備の中継拠点という役割を担っていたのです。    

指定年月日:昭和53年6月30日
所在地:増毛町稲葉町1丁目

ちなみに、1810年(文化7年)北蝦夷地(樺太)警備の任務を終え、増毛の越冬陣屋で越年してるとき病で亡くなった津軽藩士横岡五郎作光喜を、弟である横岡杢太夫元喜が1813年に増毛を訪れた際に供養するために建立した墓が、忠魂碑のある場所に現在あります。

弟元喜は北蝦夷地(樺太)警備に向かう険しい旅路の中で、往路と復路で2度増毛に立ち寄り、そのたびに兄の墓参りをしています。

www.moiwa-orosi.com

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