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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

留萌郡小平町 小平神社

小平神社(おびらじんじゃ)は、北海道留萌郡小平町小平403番地にある神社で旧社格は無格社。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、大國魂神《おおくにたまのかみ)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)で例祭日は7月11日。

小平町市街地の南外れにあり、セイコーマート小平店の脇の路地を進むと正面に神社があります。コンパクトな神社で狛犬さんはいませんでした。

小平町

 かつての小平蘂(おびらしべ)村であり、大正8年留萌町大字三泊村(さんどまりむら)の一部が分離して二級町村小平蘂村として成立したのが始まり。《分村理由は留萌町が大留萌建設事業のために多額の町債を抱えたことが契機という。》
明治29年(1896)以降小平蘂原野に本格的に開拓の鍬が入り、集団移住者の定着による人口の増加がみられた。
1948年(昭和23年) 小平蘂村を小平村と改称。《1927年(昭和2年)当地への鉄道開業時に駅名が「駅名としては字画多き為」として「蘂」を下略した「小平」と命名されたことが理由。》
以前までは留萌炭田の一角として複数の炭鉱が存在していた。1954年(昭和29年)には住吉炭鉱の第二区でガス爆発事故があり、5人が死亡する事故も起きている。炭鉱はエネルギー革命の進展により、昭和40年代までに次々と閉山したが、2000年代以降も露天掘りの炭鉱が一カ所のみ存在する。

1782年(天明2年)松前藩が字臼谷及び字広富において、鰊、鮭漁を営む。
1880年(明治13年) 天登雁村字番屋(現在の広富)に天登雁村(てんとかり)、鬼鹿村(おにしか)の戸長役場が設置される。
1887年(明治20年) 鬼鹿村の急激な人口増加により、戸長役場が天登雁村の番屋の沢から鬼鹿村の市街地に移転する。
1905年(明治20年) 花田家番屋(鰊番屋)が建築。
1906年(明治39年) 天登雁村が鬼鹿村に併合され、鬼鹿村に二級町村制が施行される
1919年(大正8年) 留萌町(現在の留萌市)大字三泊村の一部が小平蘂村(おびらしべ)として独立し、小平蘂村に二級町村制が施行される(役場庁舎を臼谷に設置)
1924年(大正13年) 小平蘂村の役場庁舎が臼谷から小平市街地に新築移転する
1948年(昭和23年) 小平蘂村を小平村と改称する
1956年(昭和31年)9月30日 留萌郡鬼鹿村が小平村に編入される
1966年(昭和41年) 町制施行、小平町

地名の元である小平蕊川はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では以下の通り。
オピラウペッ<o-pira-us-pet> 川尻に・崖・ある・川〈小平蘂川の川尻の所にインガルシ( 眺める・いつもする・所)という山が突き出していて、その下が崖になっているのでこの名がついた。〉永田方正地名解〈山田秀三補足説明〉

「東西蝦夷山川地理取調図」 松浦武四郎 安政六年

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正11年測図、昭和6年鉄道補入地形図

小平神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治29年鳥取県八頭郡小畑村からの移住者高橋力等により香川県金刀比羅宮の祭神を奉斎し創祀された小平蘂神社と、昭和11年創祀の小平神社とが昭和50年合併し、現在の小平神社となる。旧小平神社は昭和11年無格社として創祀され同21年宗教法人設立、旧小平蘂神社は明治29年創祀、昭和24年宗教法人設立。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
旧小平神社 大国主神 昭和11年創祀 昭和50年合祀
神職名簿 1、宮司 瀧川 司
【所在地】
〒078-3301 留萌郡小平町字小平403番地
【例祭日】
7月11日
【祭神】
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
大國魂神《おおくにたまのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
大物主神(おおものぬしのかみ)
大国主神(おおくにぬしのかみ)
【旧社格】
無格社

右側に土俵と資材庫

石灯籠一対(昭和63年10月建立)

 

手水舎(水盤の奉納年不明) 背後の建物も何だか不明

 

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