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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

苫前郡苫前町力昼 力昼稲荷神社

正式名称は稲荷神社(いなりじんじゃ)だが、アチラコチラにあることから便宜上、地名を付けた形で以降呼ぶこととします。 

力昼稲荷神社(りきびるいなりじんじゃ)は、北海道苫前郡苫前町力昼268番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は保食神(うけもちのかみ)で例祭日は7月9日。

国道239号を走り力昼漁港を北上すると番屋の沢川があり力昼生活館近くに神社はあります。第一印象は草ぼうぼうで管理された形跡は無く、ちょっと酷い有様で例祭日も祭事は行っていないなこれと思わせる印象でした。

2015年に訪れた方のブログを拝見したらキレイに管理されており、鳥居隣の立派な木も枝が隆々としていて、現在の状況が嘘みたいに見えます。

この地区もあと30年以内には消滅集落になりそうな予感。

力昼地区

かつては力昼村(りきびるむら)であり1902年(明治35年)に苫前町に編入されました。近くを流れる番屋の沢川は昔この地に番屋があったことを、川の名前で現在も教えてくれます。

日本歴史地名大系 「力昼村」から
力昼村(りきびるむら)

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三五年(一九〇二)まで存続した村。苫前郡の南部に位置し、南はチャシュンナイ(茶俊内)川を境に留萌郡鬼鹿おにしか村(現小平町)、北は古丹別川を境に白志泊(しらしとまり)村。近世にはトママイ場所に属し、メモトマリ(現力昼漁港付近)・リキビリ(現番屋の沢)・チシヤ(現ローソク岩付近)・ウエンビラ(現字上平)などに番屋があり、近世末以来鰊漁の出稼漁民が進出した。明治三年の北海道西地之内漫筆(市立函館図書館蔵)は「理幾美利(りきびり) 漁家并会所出張所御手漁場アリ。

 天明の飢饉以後ニシンの豊凶が、その年によって異なり極めて不安定な漁業となってきて、道南福島の漁民は地元地先でニシン漁をするより収入も大きく、安定しているので、皆先を争って奥蝦夷地に出稼をするようになりました。
これらの漁場のうち増毛、留萌、苫前等の奥場所は殆どが開発されていないので、これに着目した福島を代表する漁業者であった花田傳七(はなだでんしち)、中塚金十郎(なかつかきんじろう)らが、安政年間以降場所請負人栖原六右衞門の同意を取り付け、花田は鬼鹿(小平町)、中塚は天登雁(小平町)で漁業を始め膨大な資産を持つ漁業家となっていきます。
特に花田傳七は、この鬼鹿場所を開拓しこれを足場に宗谷、利尻島等の奥場所の開発と、その成功によって厖大な産をなしていきます。
中塚金十郎は、初期には小樽内場所の熊確でニシン差網を立て、さらに鬼鹿村で隆々辛苦して漁場主となっていきます。
このように福島村や吉岡村の村民達は幕末以降留萌場所中の天登雁村と鬼鹿村(共に小平町)、苫前場所中の力昼(りきびる)村(苫前町)の三村に集中し永住者も増えていきました。

 苫前場所中の力昼(りきびる)村は『苫前町史資料第二編』によると福島、吉岡村の漁業経営者で明治初期までに漁場を開いたものは、金沢友次郎、畑中藤吉、畑中佐助、福士傳吉、福士覚右衞 門、福士儀兵衞、福士栄吉、金谷五郎、奥山善四郎、笹森長太郎、金谷松五郎、住吉幸太郎、白符子之松、花田六右衞 門、金沢藤吉、永田七蔵、原田駒太郎であったと推定される。

この出稼者達は、先人もかつて経験したことのない奥蝦夷地への場所開拓のための出稼は、正に決死の勇が必要であった。旧正月を越えてすぐ、一〇〇石、二〇〇石の小帆船に、漁具や食糧を積んで、怒涛逆巻く日本海を北上するのは決死の覚悟でなければできなかった。

 力昼の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
リキピ<ri-kipir>高山平(注:平は崖のこと)〈高い・崖〉〈力昼市街の南の海岸に突き出している山崖の名であったろう。〉松浦武四郎〈山田秀三補足説明〉

「東西蝦夷山川地理取調図」 松浦武四郎 安政六年

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正11年測図、昭和8年鉄道補入地形図

力昼稲荷神社

以下は北海道神社庁サイトから。
稲荷神社
【由緒】
 万延元年(1860)5月当地方開拓の時、創建奉斎し、明治9年に村社となり、現在に至るまで地区住民の崇敬の念をあつめている。昭和21年宗教法人設立
【所在地】
〒078-3541 苫前郡苫前町字力昼268番地
【例祭日】
7月9日
【祭神】
保食神(うけもちのかみ)
【旧社格】
村社
【社宝等】
絵馬(3)(元治元年)

 

鳥居をくぐり左手に御影石の手水鉢(明治29年3月奉納、福士儀兵衞

石灯籠一対(建立年不明)

 

 

草をかき分け進みます

狛犬一対(建立年不明)

 

 

台座には昭和16年12月8日と刻まれているが、明らかに上部の狛犬と新しさが違うので建立年は不明としておきます。

正一位 力昼稲荷社の扁額

さてと戻りますか・・・

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