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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

釧路市城山 国指定史跡 釧路川流域チャシ跡群 モシリヤチャシ跡を訪問

ここも春採のチャシと同じく名前が変わったのですね。以前はモシリヤ砦跡でした。

チャシの周囲はフェンスで立ち入り規制されていて、史跡の見学を見学を希望される場合は、事前に釧路市立博物館(電話:0154-41-5809)にご連絡ください。と釧路市立博物館アナウンスがあります。

釧路川流域チャシ跡群とは

釧路川筋では湖沼部も含め約40か所のチャシ跡が確認されています。「釧路川流域チャシ跡群」は、これらの保存・活用を一体で図ることを目的にすでに指定を受けていた釧路市の鶴ヶ岱チャランケ砦跡・モシリヤ砦跡に釧路町、標茶町、弟子屈町に所在する9か所のチャシ跡を新たに指定し、統合・名称変更したものです。

モシリヤチャシ跡

以下は釧路市HPから
モシリヤチャシ跡は釧路川左岸の段丘に位置しています。主体部の標高は約18mで、一条の壕で区画されています。
中腹には平坦部が造作されており、方向によって2または3段に見えます。こうした外観から釧路市民には古くから「お供え山」と呼ばれて親しまれてきました。
モシリヤは「川の中島の対岸にある丘」を意味するアイヌ語ですが、サルシナイ(葦の生えている沢)またはポロチャシ(大きいチャシ)とも呼ばれていたようです。
このチャシは、和人が記録した日誌類から宝暦年間(1751~1764)に実在したとみられるトミカラアイノという人物が構築に関わっていたことが知られています。また、その人物の系譜やほかのチャシとの関係も記録されています。
北海道には500か所ほどのチャシ跡が確認されていますが、来歴などについて和人による文字情報が存在するものは多くありません。

日本歴史地名大系 「モシリヤチャシ跡」の解説から

釧路川河口から一・七キロの左岸、標高一八メートルの台地に位置する。かつては釧路川へ注ぐ小支流モシリヤ川が南側に流路をとり、二方で川に面する位置にあった。サルシナイチャシポロチャシなどの呼名があったが、昭和一〇年(一九三五)国史跡指定時に土地の名からモシリヤ砦跡と命名された。また形が重ね餅に似ていることからお供え山ともよばれている。チャシは北側から延びる自然地形を利用し先端部に手を加えて構築されており、深さ七メートルの壕を挟んで南側の本砦と北側の副砦からなる。本砦の頂部は東西一八メートル・南北二五メートルあり、周囲が二段ないし三段の平坦面をもつ段を構成しており、低地から頂部までの高さは一四メートルを計る。
独立丘に見えて実は丘先式のチャシなのですね。

モシリヤ砦跡 (昭和十年頃)

釧路川側の道路から2つある内の北側の郭

裏側の道路から同じく北側の郭

南側の郭

まあ、全体的に見えるポイントが有るのでしょうけど、時間的都合もありここまで。。。

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