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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

根室市納沙布 納沙布金刀比羅神社 ~日本本土最東端の神社~

納沙布金刀比羅神社(のさっぷことひらじんじゃ)は、北海道根室市納沙布87-2にある神社で旧社格は無し。御祭神は金刀比羅大神(ことひらおおかみ)、龍王神(りゅうおうしん)で例祭日は10月3日。

 納沙布岬の近くにあり、隣には廃墟と化した今でも一番目立つ存在のオーロラタワーがあります。納沙布岬には沢山の観光客が居たのですが、神社参拝は自分一人だけなので逆に目立つ存在だったようでして、参拝後立ち去ろうとしたときチラホラと歩いてくる人が数組居ました。(多分参拝目的ではなく、何かあるのかな?という感じでした😁)

納沙布地区

なんか参拝後しばらくして近くで熊が出たようで驚いてます。

ブログ記事を書いている7/28現在、根室市内だけで94件の目撃情報があり、5/5納沙布金刀比羅神社参拝後にも付近で目撃情報がありました。
こんな端でも出るんですね。。。

No.22 令和6年5月20日 月曜日 午前8時00分
【納沙布地区】
市民がオーロラタワーから温根元方向に約150mの道道根室半島35号線脇森林内において、ヒグマ1頭を目撃したもの。
ヒグマはその後、南方向へ立ち去ったもの。

No.23 令和6年5月20日 月曜日 午前11時05分
【納沙布地区】
市民が納沙布金比羅神社から南に約200m地点の草むらでヒグマ1頭を目撃したもの。
ヒグマはその後、西方向へ立ち去ったもの。

納沙布(のさっぷ)の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、

納沙布(根室市) ノッサ<not-sam> 崎の際〈岬・のかたわら〉この崎の際に昔からコタンが有ったため。 〈元来は岬でなく、岬のそばにあったコタンの所の名だったのが、いいつの間にか岬の名としても使われたもの。アイヌ語の語尾の子音ムもプ(m・p)も不破裂音で、唇を閉じたままであるためか、よくムがプに訛って残った。〉上原熊次郎地名考 〈山田秀三補足説明〉

納沙布岬のある地域は根室市に含まれる以前、珸瑶瑁村(ごようまいむら)に属しておりました。
日本歴史地名大系 「珸瑶瑁村」の解説から
珸瑶瑁村
ごようまいむら

北海道:根室支庁根室市珸瑶瑁村
[現在地名]根室市珸瑶瑁・豊里とよさと・温根元おんねもと・納沙布のさつぷ・水晶島すいしようとう・秋勇留島あきゆりとう・勇留島ゆりとう・多楽島たらくとう・志発島しぼつとう
明治五年(一八七二)から大正四年(一九一五)までの根室国花咲はなさき郡の村。歯舞はぼまい村の東、根室半島の東端部に位置し、東端に納沙布岬がある。北側は根室海峡、南側は太平洋に臨む。珸瑶瑁海峡を挟んで北東に浮ぶ歯舞諸島(水晶島・秋勇留島・勇留島・志発島・多楽島)は当村に所属。
近世にコヨマヘベツと記録された地で、「蝦夷日誌」(一編)に「コヨマヘベツ、此処岡の方少し高ミに樹木有。

珸瑤瑁(ごようまい)の地名由来はアイヌ語で、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
珸瑤瑁(根室市) コイオマイ(コヨマイ)<koy-oma-i> 波・ある・所  海中のコヨマイ島の姿から呼ばれたのであろう。山田秀三地名考

大正11年測図、昭和11年発行地形図 大正13年、現在地に神社建立なので神社記号はない

納沙布金刀比羅神社

以下は、北海道神社庁誌、第二章 神社本庁包括外神社、三 未公認神社 P.1264より
【由緒】
 大正初期、納沙布に東海化学工場があり、ヨウド、塩化カリを製造していた。同工場の帳場であった佐藤幸吉は信仰深く、現神社南々東二百米の海岸、通称「建岩」頂上に「龍神」を祀っていた。大正四年同工場閉鎖の際多田善之丞、後藤長次郎両人に同神の奉斎を依頼、大正五年、両氏は「龍神」と共に「金刀比羅大神」を奉斎し納沙布の守護神とした。大正十三年現在地に社殿を建立し、「建岩」より御神体を奉遷し現在に至る。
【所在地】
〒087-0165 根室市納沙布87-2
【例祭日】
10月3日
【祭神】
金刀比羅大神(ことひらおおかみ)
龍王神(りゅうおうしん)
【旧社格】
無し

鳥居をくぐると左手に「返せ北方領土」碑

傍らには玉石をくり抜いた手水石(奉納年不明)

 

社殿前に御影石の狛犬一対(平成11年5月建立)

 

石灯籠がないとちょっと寂しいかな

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