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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

根室市東和田 和田神社 ~旧和田屯田兵村の守り神~

和田神社(わだじんじゃ)は、北海道根室市東和田977番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は天照皇太神(あまてらすすめおおかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)、八幡大神(はちまんおおかみ)で例祭日は6月15日。

花咲の西方約2.5kmにある根室半島の台地には、旧和田屯田兵村があった場所でその中心部の大隊本部跡近くに神社はあります。

境内には和田屯田兵碑と忠魂碑が並び、御影石の白い狛犬・ちょっと古めの石灯籠・手水舎がありました。

和田屯田兵村

 北海道最東端の根室半島は、海を隔てた千島列島とともにロシアとの国境最前線であり、警備及び防衛を目的として入植が決定されました。
東和田兵村と西和田兵村に分かれ、東和田兵村は屯田兵第二大隊第一中隊220戸(主に東北・北陸出身者)が明治19年に入植。西和田兵村は屯田兵第二大隊第二中隊220戸(主に石川・鳥取・福岡出身者)が明治19・21~22年にかけて入植(明治19年は3戸)。
和田兵村の名前由来は初代大隊長である和田正苗少佐から名付けられました。

 入植地は農耕不適地であり、冷涼な気候と海霧による日照不足で作物は育たず、入植しても自給自足は困難を極め兵役のうち、現役三年が終わると扶持米と塩菜料などの官給品が打ち切られることが、その後の生活苦からの離散につながります。
明治27年(1894)予備役として日清戦争に出征。
明治30年(1897)屯田兵条例の現役・予備役の「常備兵役」(7年間)を終え、13年間の後備役となります。
常備兵役終了したこの年から離村者が増え始めました。
明治37年(1904)日露戦争出征。凱旋後、更に生活苦からの離村者は増え37個屯田兵村中最大規模になります。

 入植時から苦しい生活の中でも小規模ながら成功していたのが酪農で、初代大隊長 和田正苗少佐の呼びかけで始めた牛5頭の試験飼育から根室牧場へと発展し、兵村に留まった者が離村者の土地を買い取り、規模を拡大した酪農への転換に成功しました。現在屯田兵四世へと繋がれていった屯田兵子孫は牧場経営者として16戸います。

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正11年測図、昭和11年発行地形図 家屋の数が少ないようです…

日本歴史地名大系 「和田村」の解説から
和田村
わだむら
北海道:根室支庁根室市和田村
明治三九年(一九〇六)から昭和三二年(一九五七)までの根室郡の自治体名。明治三九年和田・落石おちいし・昆布盛こんぶもり・幌茂尻ほろもしり・穂香ほにおいの五村と厚別あつうしべつ村の一部が合併し、二級町村制を施行して成立、旧村名は大字となる。和田村役場は東和田に置いたが、大正二年(一九一三)和田尋常小学校舎を役場とした。明治三九年屯田兵村があった旧和田村は基本財産を西和田・東和田両地区に分けたが、そのほかは旧各村有財産を和田村共有財産とした(和田村誌)。内陸部は未開拓の原野が多かったが、明治三〇年代に馬と牛を飼育する大牧場が設けられ、同四四年には大字穂香村に四、大字幌茂尻村に一、大字落石村に一、大字厚別村に二一の牧場があった(根室要覧)。

沿革
1886年 - 和田地区に屯田兵440戸が入地し、和田村を建設する。和田村・落石村・昆布村の各村を管轄とする、和田村ほか二カ所戸長役場を設置する。
1900年(明治33年) - 和田村ほか二カ所戸長役場の管轄に、穂香村・厚別村・幌茂尻村の各村を入れ、和田村ほか5カ村戸長役場と改める。
1906年(明治39年)4月1日 - 北海道二級町村制施行により、根室郡穂香村・幌茂尻村・和田村・花咲郡落石村・昆布盛村および厚別村の一部の区域をもって、和田村が発足。
1957年(昭和32年)8月1日 - 根室郡根室町と新設合併し、根室市が発足。同日和田村廃止。

和田神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 明治19年6月屯田兵村の創設に当り祠宇を建立し、八幡神社と称していた。明治32年4月神社設立願提出し認可をうけ社名を「和田神社」と改めた。昭和10年社格を村社に列せられ、昭和28年宗教法人和田神社として認証さる。昭和61年、創祀百年記念祭を執行、平成5年には鳥居を建立した。
【所在地】
〒087-0034 根室市東和田977番地
【例祭日】
6月15日
【祭神】
天照皇太神(あまてらすすめおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
八幡大神(はちまんおおかみ)
【旧社格】
村社
【社宝等】
屯田兵碑

 

無想百年碑

和田屯田兵碑(明治22年建立、昭和9年境内に移設)

 

忠魂碑(大正7年7月建立)

 

狛犬一対(平成7年6月吉日建立、和田神社御創祀百十年)

 

石灯籠一対(大正6年〇〇~建立)

 

 

手水舎(手水石は玉石をくり抜いたもので奉納年は不明)

 

社殿は最近改築されたもの

近くには第二大隊本部跡があるが表示板と説明板のみ

 

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