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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】厚岸郡浜中町霧多布 霧多布(きりたっぷ)神社

霧多布神社(きりたっぷじんじゃ)は、北海道厚岸郡浜中町霧多布東4条1丁目21番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は大綿津見神(おおわたつみのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)、厳島姫神(いつくしまひめのかみ)で例祭日は9月25日。

 霧多布大橋を渡り浜中町役場の前を過ぎると、通りに神社の鳥居が見えてきてわかりやすいです。白い鳥居と鉤状に曲がっている白い石畳の参道、白い御影石の狛犬、白を基調とした拝殿というのが印象深いです。

余談ですが浜中町は、故モンキー・パンチ氏の出身地で、道内のラジオ局で放送されている浜中町のCMでは、「モンキー・パンチのふるさと浜中町」という歌詞のコマーシャルソングが流れています。

霧多布(きりたっぷ)

日本歴史地名大系 「霧多布村」の解説から
霧多布村
きりたつぷむら

北海道:釧路支庁浜中町霧多布村
[現在地名]厚岸あつけし郡浜中町霧多布東一条きりたつぷひがしいちじよう・霧多布東二条きりたつぷひがしにじよう・霧多布東三条きりたつぷひがしさんじよう・霧多布東四条きりたつぷひがしよじよう・霧多布西一条きりたつぷにしいちじよう・霧多布西二条きりたつぷにしにじよう・霧多布西三条きりたつぷにしさんじよう・霧多布西四条きりたつぷにしよじよう・湯沸とうぶつ
明治一八年(一八八五)から同三九年まで存続した厚岸郡の村。明治一八年七月浜中村から分離して成立(状況報文)。同村の南、霧多布島一帯にあたる。明治一二年には永住の人家三戸で、昆布漁期に賑わうのみであったが、汽船の航路が開かれたのに対応して浜中地方の拠点港となり、貨物の出入や戸口が増加。同一五年同地方の中心であった榊さかき町に代わる中心市街地にするため、霧多布島陸繋部東側に市街地区画が行われ、移住者に割渡された。同年の戸数約六〇。

歴史年表
1701年(元禄14年)、厚岸場所を分割しキイタップ場所(後の霧多布場所)が開設された
1831年(天保2年)2月20日、国籍不明の異国船が厚岸場所ウラヤコタンに碇泊し発砲。同月22日厚岸勤番谷梯小右衛門ら60人が異国船の小船一艘と交戦となり、異国軍追加四艘による攻撃により退却。(ウラヤコタンの交戦) 異国軍は番屋を焼き、小右衛門の部下一人とアイヌ先住民一人を捕虜にしたが、3月3日になり捕虜は書簡と食糧を持たされて釈放され、異国軍は撤退した
1869年(明治元年)、北海道11国86郡が置かれ、榊富右衛門がアシリコタン(現在の榊町)に漁民を定住させ、漁業が開始された。榊町は港に適さない地形だったため、町の中心地はのちに霧多布へと移っていった。
1872年(明治5年) 開拓使根室支庁の所轄となり、榊町に浜中出張所が開設される。
1879年(明治12年) 榊町に戸長役場設置。
1884年(明治17年) 榊町戸長役場廃止、後静村、琵琶瀬村、霧多布村、散布村の四村に分割。
1886年(明治19年) 霧多布外一町四村戸長役場設置。
1906年(明治39年) 榊町・浜中村・霧多布村・散布村・琵琶瀬村・後静村が合併し、浜中村となる。
1952年(昭和27年) 十勝沖地震の津波により、村が壊滅状態となる。
1960年(昭和35年) 1960年チリ地震の津波により、村が再び壊滅状態となり11人が死亡した。
1963年(昭和38年) 根室市との境界変更。町制施行、浜中町となる。


霧多布(きりたっぷ)の地名はアイヌ語から来ており、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
キタ<ki-ta-p> カヤ・を刈る・所 [昔、この島で茅を刈ったという。]〈霧多布市街は島で、橋によって陸地と繋がっている。〉永田方正地名解〈山田秀三補足説明〉

ちなみに、浜中の地名はアイヌ語のオタノ <ota-noski> 砂浜・の中央を意訳したもので、元来の場所は霧多布の北に広がる浜を指し、現在その地名は約4kmほど内陸部にある1919年(大正8年)11月25日開業のJR浜中駅周辺市街地に移動しています。

「東西蝦夷山川地理取調図」

大正11年測図、昭和11年発行地形図

霧多布神社

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 霧多布神社は大綿津見神・大物主神・厳島姫神を奉斎しこの3神は松村留治郎・吉田毎太郎の両名が先代より漁業の祈願のため私祭したもので、当時神社のなかった霧多布の人々が協議の上、村民の幸福と漁業の繁盛を祈ろうと、明治36年神社創立社号公称願いを提出し、明治37年道長官の許可のもと無格社霧多布神社と称した。明治40年社殿社務所の御造営がなり、大正9年村社に新しく列せられる(内務大臣より)。昭和23年宗教法人霧多布神社となる。昭和38年社務所改築完成する。平成3年新社殿御造営完成し、平成4年新社務所が完成するとともに境内整備工事も完成し、平成5年社殿・社務所等御造営奉祝祭並に記念式典開催、平成の御大典を記念する大事業が完成し、境内は面目を一新しますます浜中町の総鎮守として氏子崇敬者の心のよりどころとして、親しまれる神社となり今日に至っている。
【所在地】
〒0153-62-2426 厚岸郡浜中町霧多布東4条1丁目21番地
【例祭日】
9月25日
【祭神】
大綿津見神(おおわたつみのかみ)
大物主神(おおものぬしのかみ)
厳島姫神(いつくしまひめのかみ)
【旧社格】
村社
【社宝等】
俳句奉納額

社号標(昭和11年9月15日建立)さすが御影石というべきか、とても昭和11年建立とは見えないくらいキレイです。

奥にある忠魂碑と赤白のお社(後述)

手水舎(手水石は平成2年10月吉日奉納)

 

狛犬一対(平成3年10月吉日建立)

 

石灯籠一対(還暦記念、大正10年5月2●日建立)

 

 

 

忠魂碑(大正5年10月建立、在郷軍人會濱中村分會)

 

 

背後には戦没者名鑑として189名の名前、場所、戦没年月日が刻まれている。

 

境内社:稲荷神社

境内社:龍神祠(社務所で聞いたら龍神様と言っていた)

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