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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【戦争遺跡】厚岸郡浜中町藻散布 藻散布(もちりっぷ)トーチカ

藻散布(もちりっぷ)トーチカは、藻散布集落のある海岸を挟んで右翼側と左翼側に2箇所あり、右翼側は崖から海岸にずり落ちています。

ここも敵が上陸するとは思えず、何を守るために作られたのか想像ができません。何しろ背後の地形は湖沼と谷地と山林なんですから。

藻散布

日本歴史地名大系 「散布村」の解説から
散布村
ちりつぷむら

北海道:釧路支庁浜中町散布村
[現在地名]厚岸あつけし郡浜中町大字散布村・渡散布わたりちりつぷ・養老散布ようろうちりつぷ・火散布ひちりつぷ・丸山散布まるやまちりつぷ・北の沢きたのさわ・藻散布もちりつぷ・鯨浜くじらはま
明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三九年(一九〇六)まで存続した厚岸郡の村。琵琶瀬びわせ村の南西にあり、南西は同郡璃瑠瀾りるらん村(現厚岸町)、南東は太平洋に面する。内陸側に火散布沼・藻散布沼がある。近世にはアッケシ場所のうち。明治初年、「戊午日誌」(能都之也布誌)などにみえるシチロツフ、モチロツフ、イヲロチロツフ、ワタラチロツフなどの地を包含して成立した。谷口の砂浜に四漁村があり、火散布(シチュルプ)はシチロツフ、藻散布(モチュルプ)はモチロツフ、渡散布(ワタラチュルプ)はワタラチロツフ、養老散布(イオロチュルプ)はイヲロチロツフにあたるか。

「東西蝦夷山川地理取調図」

 散布(ちりっぷ)の地名由来はアイヌ語から来ており、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
チウル<ciwrup>アサリ貝〈地名一般のつけ方から考えれば、大きい火散布沼の辺であさり貝が採れるかしてチウル という地名ができ、それが近辺の名にも使われるようになったのではなかろうか。〉永田方正地名解〈山田秀三補足説明〉

アサリ説には否定的な意見もありますが、とりあえずここでは書きません。

藻散布は<mo->(小さな)が付き、隣の火散布沼の<si->(大きな)に対しての対義語ですね。

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

散布村」とあり、沼部に「モチュルプ沼」と描かれています

藻散布トーチカ

右翼側

一見分かりにくいですよね

私有地で立入禁止の看板もあり遠くから撮影です。

望遠 上から海岸にずり落ちてます。

銃眼の向きは海正面ではなく海岸線方向です

左翼側

山鼻でなく海側から視認しづらい場所にあるのがミソ

こちらも銃眼は海岸線方向を向いています

ちょっとフラッシュを焚いてみました

銃眼の方向は右翼側とカバーし合う方向です

見えました!

何気なく岬の先を見たら穴?

海蝕洞がありますね

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