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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【戦争遺跡】厚岸郡厚岸町末広 末広(まびろ)トーチカ

末広(まびろ)トーチカ

厚岸から東に7kmほど行った所に末広集落に降りる道があり、トーチカは末広海岸展望台の崖下にあります。

周辺は昆布干し場なので車両の乗り入れは十分に注意が必要です。

厚岸町末広(まびろ)地区

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

「末廣村」とあり、海岸部に「マウピロロ」と描かれています

日本歴史地名大系 「末広村」の解説から
末広村
まびろむら
北海道:釧路支庁厚岸町末広村
[現在地名]厚岸郡厚岸町末広
 明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三三年(一九〇〇)まで存続した厚岸郡の村。床潭とこたん村の東、厚岸半島南部にあり、全域が丘陵地、南は海に面する。近世にはアッケシ場所のうち。明治初年マヒロなどの地を包含して成立。初めマヒロ村と記され、明治八年五月村名表記は末広と漢字に改められた(開拓使根室支庁布達全書)。マピロともよばれる(大小区画沿革表)。

 その後、1900年(明治33年)に4町7村が合併し厚岸町となり、末廣村は厚岸町末広になりました。

 末広海岸は、嘉永3年(1850年)4月11日、オーストラリア・クラレンスの捕鯨船イーモント号が末広海岸において遭難し、地元の人が乗組員32人を救助した場所で、松前藩の命令で異国の船であるイーモント号は焼却処分されました。

 昭和56年、東京の遠藤雅子氏執筆の『謎の異国船』によって紹介され、また報道機関の報ずるところとなって、クラレンスとの姉妹都市提携が具体化されました。

 

地名はアイヌ語から来ており、永田方正地名解では

Mau piroro   マウ ピロロ   風蔭ノ處 「マウピリオロ」ノ急言、「マウ」ハ風、「ピリ」ハ蔭、「オロ」ハ處、○末廣村ノ原名
風・陰・のところという説なのですね。

末広(まびろ)トーチカ

銃眼は側面(集落側海岸方向)だけ開いていて、対となるトーチカが存在した可能性があります。

海側正面

崖上の末広海岸展望台から(穏やかな日でした)

末広金刀比羅神社

行こうかなと思ったけど、海側から登ると知って止めました😁

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