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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】厚岸郡厚岸町宮園 厚岸真龍神社

厚岸真龍神社(あっけししんりゅうじんじゃ)は、北海道厚岸郡厚岸町字宮園町146番地にある神社で旧社格は無し。御祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)、住吉三神(すみよしさんじん)で例祭日は7月15日。

厚岸湖を見下ろす高台に神社はあり、結構清掃の行き届いた綺麗な神社さんです。

近くには牡蠣小屋で有名な道の駅「厚岸コンキリエ」があり、5月の連休中だったものですから駐車場に入れない車で溢れかえっており牡蠣は断念。。。

神社の名前になっているように、かつて此の地は真龍村であり明治33年に厚岸町と合併されるまで存在していました。

旧真龍村

日本歴史地名大系「真竜村」から
真竜村
北海道:釧路支庁厚岸町真竜村
[現在地名]厚岸郡厚岸町字港町・字真栄町・字住の江町・字白浜町・字宮園町・字門静
明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三三年(一九〇〇)まで存続した厚岸郡の村。別寒辺牛べかんべうし村の西、厚岸湾北岸にある。南は同湾から東に入る厚岸湖の湖口を隔てて奔渡ぽんと村と厚岸市街地。近世にはアッケシ場所のうち。明治初年シンレウニコル、リルウなどの地を包含して成立した。明治五年の伊万里県引継書(道立文書館蔵)には「シンレウニコロ村」とあり、アイヌの戸口は七戸・一四人。同八年村名の表記は「シンリウ村」から真竜村と漢字に改められた(開拓使根室支庁布達全書)。

その後、真龍村は1900年(明治33年)4町7村が合併した厚岸町の一部となり消滅します。

真龍の地名由来はアイヌ語から来ていて、その語訳も色々疑問符があるようですがとりあえず
永田方正地名解 シンリウネンコロ <shinri-un-enkoro>(高崎)。直訳高き地額。真竜村の原名

20万分1北海道実測切図(明治23年(1890)~)から切り抜き

大正11年測図、昭和11年発行地形図

厚岸真龍神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 安政4年(1858)4月、松浦武四郎が奉持する八幡大神を、当地真龍に1祠を建て奉安し、且つ祭神無き集落を憂い氏の深慮より奉斎したのがその始まりと伝わる。その後、高畠清次朗・浜本彦松の両名が祠跡を修復、社殿を建立し、明治41年京都石清水八幡宮、伏見稲荷大社より御神体を勧請し、当時真龍村の氏神、真龍八幡神社として祀った。文献上、当神社創祠の年とする。大正14年造営並遷座。昭和16年現在地に移転、遷座。昭和19年旧参道50mのコンクリ-ト階段120段、当港駐留の海軍部隊の協力により完成奉納。昭和28年宗教法人、厚岸真龍神社(通称真龍神社)となる。昭和37年字名変更により真龍の地名が無くなる。昭和45現在の社殿造営、遷座祭を執り行う。同時に社務所を新築する。
【所在地】
〒088-1124 厚岸郡厚岸町字宮園町146番地
【例祭日】
7月15日
【祭神】
誉田別尊(ほんだわけのみこと)
表筒男神(うわつつおのかみ)
中筒男神(なかつつおのかみ)
底筒男神(そこつつおのかみ)
【旧社格】
なし

 

一ノ鳥居

紀功碑(昭和15年10月建立)

 

手水舎(手水石は昭和59年7月吉日奉納)

 

 

二ノ鳥居

ブロンズ狛犬一対(創祀八十年記念事業、昭和61年10月建立)

 

 

 

授与所

御朱印

社務所と住宅があり住宅の方へ訪問しました

 

お忙しい中ありがとうございます。

 

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