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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】釧路市米町 釧路厳島神社

正式名称は厳島神社(いつくしまじんじゃ)だが、アチラコチラにあることから便宜上、地名を付けた形で以降呼ぶこととします。

釧路厳島神社(くしろいつくしまじんじゃ)は、北海道釧路市米町1丁目3番18号にある神社で旧社格は縣社。御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、阿寒大神(あかんのおおかみ)、金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)、秋葉大神(あきはのおおかみ)、稲荷大神(いなりのおおかみ)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、海津見大神(わだつみのおおかみ)で例祭日は7月15日。

 

 

釧路市

 釧路市は北海道東部太平洋沿岸にある道東最大の都市であり、政治・経済及び観光の中心的都市です。
寛永12 (1635) 年松前藩が漁場を開設し、クスリ(クシュリ、久寿里)場所と称したのが始まり。明治2(1869)年「クスリ」から「釧路」に名称を変更する。

 気候は寒流である親潮の影響を受け冷涼で、夏は海霧に覆われることが多く発生数は年間100日以上となっており、釧路市が「霧の街」と呼ばれる由縁と言えます。
秋・冬・春はとても乾燥した晴天が続き「釧路晴れ」と呼ばれ降雪も少なく、年を通じての日照時間は約2,000時間と国内有数である。
年平均気温が5.5℃前後と、北海道の中でも最も寒冷な地域で冷涼多湿な気候は、キタサンショウウオなどの氷河期からの遺存種を多数含む特異な生物層を釧路湿原にはぐくんできた大きな要因の1つです。

 また、沈み込み帯である千島海溝の影響で地震の被害も多く、過去には津波の被災経験もあります。
1843年十勝沖地震 (M8.0) - 地震と津波で死者。
1894年根室半島沖地震 (M7.9) - 震度5。津波あり。死者1名、家屋被害。
1952年十勝沖地震(M8.2) - 震度5。津波あり。死者15名、土砂崩れ、家屋被害。
1993年釧路沖地震 (M7.5) - 震度6。死者2名、土砂崩れ、家屋被害。
1994年北海道東方沖地震 (M8.2) - 震度6。液状化、家屋被害。
2003年十勝沖地震 (M8.0) - 震度5強。重傷者15名、家屋被害。

 釧路の地名由来はアイヌ語ですが諸説ありはっきりしておらず、北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課「アイヌ語地名リスト」では、
<kus-ru>・越える道〈通る・道〉この所から標津海岸や斜里へ越えて行ったため(上原熊次郎地名考)
       ・この所から斜里領または根室領等へ常にアイヌが往来していたため。(松浦武四郎)
クスリ<kusuri>〈薬〉 川上に数ヶ所温泉があり、薬水が流れ出ていたため。(松浦武四郎)
チク<ci-kus-ru>往還道〈我ら・通る・道〉網走との往来道の名。(東蝦夷地名解)
クッチャロ<kutcaro>咽喉 〈のど口=沼水の流れ出す口〉釧路川水源の屈斜路湖湖口(クッチャロと言った)にアイヌの大部落があったが、寛永十二年松前藩がクッチャロアイヌを今の釧路に移して久寿里(クシュリ)場所と称した。久寿里はクッチャロの転訛。(永田方正地名解)
ペッ<kus-pet>通り抜ける・川{釧路市HPは、「諸説あるが、昭和 年発行の釧路叢書によれば、クシベツあるいはクシナイが語源にあたり、 『通り抜けることのできる川』の意味とある。川が重要な交通路であった頃は、厚岸や根室、十勝、網走への要衝となっていた」と書いている。}(土屋祝郎地名考)
<kus-sir>川向こうの・山(若林三郎地名考)

当リストでも、『諸説あり特定しがたい。』とコメントしています。

私はこの越える道説を推しています。

今昔マップより作成

釧路厳島神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 厳島神社の創祀年は江戸期に遡る。年次は定かではないが、幕府が東蝦夷地を直轄した寛政11年(1799)頃と思われる。記録の最初は、文化6年(1809)の『東行漫筆』にクスリ会所内に弁天・稲荷・山神が祀られていたとあり、同時代の絵図にも見える。安政4年(1859)には『弁天・阿寒・稲荷の三社美々敷立たり』とあり、クスリ会所の氏神であった。明治5年には金刀比羅大神・熊野大神・猿田彦大神も祀られていた。明治24年郷社、大正12年には県社に列せられた。
【所在地】
〒085-0842 釧路市米町1丁目3番18号
電話 0154-41-4485
【例祭日】
7月15日
【祭神】
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
阿寒大神(あかんのおおかみ)
金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)
秋葉大神(あきはのおおかみ)
稲荷大神(いなりのおおかみ)
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
海津見大神(わだつみのおおかみ)
【旧社格】
県社

【御朱印】
■御朱印受付 : 常時
■受付時間  : 09:00~17:00
 ※ 毎日9:00~15:00(直書き)、15:00~17:00(書置き)。当日限定御朱印を頒布しています。
■境内社・兼務社の御朱印:
・境内に龍神祠、御徳稲荷神社、護国神社。兼務社は釧路神社、別保神社の御朱印を受付しております。

一ノ鳥居と長い参道 社号標は縣社厳島神社と釧路護国神社

二ノ鳥居

 

右手に古い手水鉢

ん?これはもしや・・・

文政十年の年号が読めます。

調べたら『文政十(一八二七)年 米屋孫兵衛・万葉丸長吉氏奉納の手水鉢』です。

米屋は越後国三島郡寺泊に本拠をかまえ、米・麹を取り扱う商人。初代は孫兵衛でこのあと松前にわたった孫右衛門系と、寺泊にとどまった孫兵衛系にわかれ、文政五年に松前の二代目米屋孫右衛門(儀兵衛)が運上金450両でクスリ場所の請負人となる。手船万葉丸は米屋孫兵衛の手船で松前~クスリ間で輸送を行っていた。

対面には手水舎

手水石は左:昭和30年9月奉納 右:昭和24年7月奉納

文政10年奉納の手水石のほうが歴史的価値が高く屋根付きにしてほしいわ。

 

参道左手に境内社

幣舞福徳稲荷

 

御得稲荷神社

 

龍神祠

 

狛犬一対(建立年不明、献 庄司余衣)

 

 

参道右手に釧路護国神社

明治天皇御製碑

戦いの庭に斃れし ますらをの魂は御國を なほ護るらむ

 

奥には田元北史短歌碑

流氷の ぬぐひ去りたる 海は藍

 

ブロンズ狛犬一対(昭和6年7月建立)

 

 

拝殿前に古い狛犬一対(元治2年7月15日建立)

献 佐野孫右衛門他(佐野孫右衛門はクスリ場所請負人米屋孫右衛門のこと)

 

 

 

御朱印

数が多いので直書きをお願いするため、朝イチで訪問し夕方取りに伺いますと御朱印帳を預けてきました。

お忙しい中ありがとうございました。

厳島神社

釧路護国神社

幣舞福徳稲荷

徳の字が間違えて得になっとるやんけ!

御得稲荷神社

龍神祠

www.moiwa-orosi.com