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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】釧路市鳥取大通 鳥取神社

鳥取神社(とっとりじんじゃ)は、北海道釧路市鳥取大通4丁目2番18号にある神社で旧社格は村社。御祭神は大國主神(おおくにぬしのかみ)で例祭日は9月14日。

巨大な天守をイメージした資料館が目立つ神社で、背広の駐車場案内の人がたくさんいるなあと思ったら、この日は神仏合同護摩行のイベントが行われる日で駐車場はほとんど満車&拝殿はイベントの祭壇で近寄れず失敗したなと。

鳥取地区

 明治初期における士族授産や殖産興業政策の一環で、鳥取県の士族たちが移住した入植地です。ここ釧路地方への入植は最も規模の大きなもので、明治17~18年に総戸数105戸513人が移住し大正12年鳥取村として釧路村から分離しました。その後、鳥取村は昭和18年に町に昇格、昭和24年釧路市に編入されました。

【沿革】
1923年(大正12年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、釧路郡鳥取村が発足する。
1933年(昭和8年)5月1日 - 北海道一級町村制を施行。
1943年(昭和18年)6月9日 - 町制施行して、釧路郡鳥取町となる。
1949年(昭和24年)10月10日 - 釧路市に編入する。

 

以下は地名本にあったものをそれぞれ抜粋

北海道 集落地名地理(1992) 著、栃木義正
鳥取(とっとり)〔釧路市〕市街西部。十条製紙工場及び関連企業・住宅街・商店街。明治17年41戸207人、同18年64戸306人の鳥取県士族が入植

北海道 地名漢字解(1995) 著、本田 貢
鳥取(とっとり、釧路市西部)1884年(明治17)年に41戸207人、翌年64戸306人の鳥取県士族・旧池田藩士が集団で入植した士族開拓地。1949(昭和24)年に釧路市に編入されるまでは鳥取町だった。今でも鳥取地区は鳥取神社を中心にまとまりが良く、十条製紙改め日本製紙の工場や住宅・商店街になっている。

今昔マップより作成

鳥取神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 明治17、8年鳥取県士族移住者は鳥取村を創始したが、鎮守の神を祀った神社がないので同19年2月の村会において「村社を建設するの件」が上程され、神社の場所、祭神について議事がおこなわれ可決された。同24年古井保斗らが発起人となり同年4月23日、出雲大社に祭神の拝請願を出して聞き届けられたので鳥取村は、34番地に土地の払下げを受けて祠宇を建て大国主神を祭神とし社名を鳥取神社として祭祀を行ってきた。明治31年内務省より神社創立の許可を受け正式の神社となり、鳥取村民は氏子として篤く崇敬した。由来神社のなかには個人的なある神の信仰が普遍化して崇敬者が増加し、神社となった例もあるが、鳥取神社は全移住者が守護神として創立したものである。
【所在地】
〒084-0906 釧路市鳥取大通4丁目2番18号
電話 0154-51-2404
【例祭日】
9月14日
【祭神】
大國主神(おおくにぬしのかみ)
【旧社格】
村社

一ノ鳥居

石灯籠一対(昭和40年6月14日建立、鳥取開拓80年記念)

 

石灯籠一対(建立年不明)

 

石灯籠一対(建立年不明)

 

神馬のブロンズ像

二ノ鳥居

手水舎

手水石(昭和51年9月吉日奉納)は結構大きめなもの

 

藤棚とベンチ(龍の頭があります)

石灯籠一対(昭和13年9月14日建立)

 

直角に折れる参道に対して石灯籠一対(大正12年9月吉日建立)

 

台座下部に昭和49年9月移設とある

神輿殿

三ノ鳥居

拝殿両脇にはにブロンズ狛犬一対(昭和50年9月14日建立)

写真は無い・・・

資料館に向かう途中には記念碑があり、

舊鳥取藩士鳥取開村記念碑(大正4年11月10日建立)

 

鳥取開拓八十年記念碑(建立年不明)

 

鳥取百年館(資料館)

隣に社務所と授与所

社務所向かいには報恩祀堂

歴代の鳥取藩主と明治天皇をお祀りしていて毎月9日に村謡という開拓の苦労の踊りを奉納

毎年6月9日の開村記念日に報恩慰霊大祭を行っている

社務所側からも行けるのですね。手水鉢もあります。

 

御朱印

お忙しい中ありがとうございました。

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