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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近はほとんど気楽な食レポが多いです。

【御朱印】寿都郡寿都町 壽都神社(寿都神社)

壽都神社(すっつじんじゃ)は北海道寿都郡寿都町字渡島町127番地2にある神社で旧社格は郷社。御祭神は市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、豊宇気比売命(とようけひめのみこと)で例祭日は7月15日。

寿都町

寿都町は日本海側の寿都湾に面した町で、江戸時代には松前藩によるアイヌとの交易場所であるスッツ場所が開かれニシン漁で栄えた所でありました。気候的には対馬暖流の影響があり比較的温暖ですが、風が強いこともあり町内には風力発電の風車がいくつもあります。

現在は鉄道路線はありませんが、1920年(大正9年)~1968年(昭和43年)まで黒松内町の黒松内駅から寿都町の寿都駅を結んでいた寿都鉄道という民間鉄道会社がありました。海岸沿いの国道の隣には崖下を通っていた鉄道の盛土を確認することができます。

ちなみに北海道で有名な菓子である「わかさいも」発祥の地でもあります。

大正6年測図昭和3年鉄道補入地形図

寿都の地名由来はアイヌ語から転訛した地名と言われていて、永田地名解では『寿都はシュㇷ゚キにあてたる文字にして原名はシュㇷ゚キ・ペッといふ川なり。今朱太川或は寿都川と称す。往時アイヌ此川筋に住居したりしが、場所をテレケウシ、和名岩崎に開くに及び、シュㇷ゚キ・ペッのアイヌを此処に移し、アイヌ出所の地名を用いてシュㇷ゚キ場所と称す。後に訛りてスッツと呼ぶ』とあります。

また、アイヌ語地名研究で有名な山田秀三著「北海道の地名」では、『シュキ(スキ。アイヌ語ではシャ行、サ行は同音)は葭」の意。朱太川の河口の低湿原野が葭原だったのでシュㇷ゚キ・ペッと呼ばれた。他地方でも、シュㇷ゚キはよくシュッキの形で地名に残っている。それから寿都に訛ったのであろう。また川口の辺がシュㇷ゚キ・プトゥ(朱太川の・川口。ペッはよく略される)と呼ばれ、それから朱太の名が出たのではなかろうか。』シュキ・ペッ<shupki(スキsupki)-pet>アシの・川の意。

東西蝦夷山川地理取調図(函館市中央図書館所蔵資料)松浦武四郎 (1818-1888). 江戸時代、安政6年/1859年. 木版刷彩から

壽都神社(寿都神社)

以下は、北海道神社庁サイトから。
【由緒】
 寛永4年4月、北海道に向かう筑紫国の弁天丸という船が折からの暴風により遭難し漂流の後、寿都湾で座礁大破した際、幸いにも乗組員は神の御加護と地元住民の御陰で無事救助されたことに感謝し、船中に祀っていた弁天神を岩崎村の祠に奉祀、神鏡を納めて海上安全の主神として奉斎したことに始まる。後にこの近辺が松前藩士鈴木喜三郎の知行する漁場となってからも漁民たちから篤い信仰を受け、協議の結果、社を新たに建立した。明治5年8月厳島神社と改称し郷社に列せられる。同13年11月12日、現在地に遷座。同32年10月23日、本殿ならびに幣殿を新築、同年に強風の為に境内の稲荷神社が損壊したので、本社に合祀を出願し、翌33年3月28日に許可が下る。同34年12月、神楽殿並びに社務所を増築、大正6年には本殿と社務所を改修した。同14年9月30日、村社稲荷神社を合祀、11月には寿都神社と改称する。昭和5年7月には境内地を増やして整備し、寿都敬神会の寄付により神楽殿を再建した。昭和52年11月、国道229号線道路改修の為、現在地に移転と成り、御社殿、神楽殿、神輿殿、社務所等境内建造物を改築する。同年11月三町稲荷神社を境内社と遷座して現在に至る。
【所在地】
〒0048-0406 北海道寿都郡寿都町字渡島町127番地2
電話番号 0136-62-2231
【例祭日】
7月15日
【祭神】
市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
豊宇気比売命(とようけひめのみこと)
【旧社格】
郷社
【合併により合祀された歴史をもつ御祭神】
稲荷神社 豊宇気比売命  大正14年9月30日合祀
稲荷神社 倉稲魂命 明治33年3月28日合祀
【社宝等】
大神輿(明治22年製作)
【特殊神事】
松前神楽 船霊祭

一ノ鳥居の前には、腰を上げていまにも飛びかかろうという「構え獅子」型の来待石出雲狛犬(大正7年11月23日建立、奉納者の四十二歳紀念)

 

 

一ノ鳥居

 

石灯籠一対(明治25年7月建立)

 

参道左手には忠魂碑(大正6年10月建立)

 

小さめの石灯籠一対と風化した狛犬一対(それぞれ建立年不明)

 

 

石灯籠一対(昭和11年正月建立)

 

左側に和船の錨が置いてあり、明治31年に「久政丸」が沈みかけ4本ある錨の爪の3本まで折れたのが最後の1本だけ残り助かって奉納されたもの。

 

「明治三十一年三月二十一日
午前二時 島根県石見国邇摩郡大濱村字古浜沖にて暴風大難に逢い既に沈没せんとす。船員一同惟一心に金刀比羅大神を祈り、此の錨にて船体を全うす。因って報恩のため之を奉納す」
明治三十一年四月二十二日 久政丸船首(寿都)畑 久平

海難に遭った船主畑久平は寿都町岩崎町で弁天丸の祭神を祀った祠の近くの海産商であった。

石灯籠一対(建立年は明治までしか判別出来ず)

 

 

二ノ鳥居(なかなか古い御影石の鳥居)

コントラス調整して読んでみたものの明治●●年第八月吉日建之●●産子中しか分からず奉納者も判読できず。

 

 

狛犬一対(明治43年8月10日建立、奉納者の四十二歳紀念)

 

由緒書

手水舎(水盤は昭和52年10月吉日奉納)

 

 

石灯籠一対(大正9年6月建立)

 

神輿殿

石灯籠一対(令和元年御大典奉祝紀念)

  

狛犬一対(平成20年御創祀380年祭紀念)

 

夏詣の風鈴が良い音色を立てています

 

御朱印

通常版300円と見開き版500円があり、コロナ禍なのか書き置き対応で日付は入れていただけます。

見所いっぱいの神社で優しい応対の宮司さんでした。

 

 

 

見開き御朱印(書き置き) 初穂料500円

 

www.moiwa-orosi.com