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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近はほとんど気楽な食レポが多いです。

【御朱印なし】河西郡更別村 更別神社(さらべつじんじゃ)

更別神社(さらべつじんじゃ)は北海道河西郡更別村字更別南2線91番地にある神社で旧社格は無格社。御祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)、大国主大神(おおくにぬしのおほかみ)で例祭日は9月1日。

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 道道472号更南更別停車場線が直角に曲がる先に神社があり、新旧二対の石灯籠及び一対の狛犬がある中規模の神社です。

右手には新しい社務所があるのですが元日訪問でも無人でした。

更別村

 更別の地名由来はアイヌ語の「サペッ<sar-pet>ヨシ原・川」の意で、猿別川から来ているのですが、アイヌ語地名研究家山田秀三によれば[この辺にヨシ原があって、この名ができたのか、あるいは猿別川筋なので当然sar-petの地なのであるが、下流と区別するために更別としたのか分からない。後者の方なのではなかろうか。]とあり、”下流と区別するため~”のくだりは、猿別川下流にある幕別町猿別のことなのです。

 『北海道 駅名の起源』(日本国有鉄道北海道総局、1973年3月25日、第1版)では、更別(さらべつ):アイヌ語の「サル・ペッ」(ヨシ原の川)の意で、幕別川支流の猿別川から出た名であるが、上流の更別村では猿を嫌って更別としたので、駅名はそれによったものである。とあります。

 更別村の人口は約3157人(2020/11統計)、特産品はいんげん豆で日本一の収穫量を誇り、大規模機械化農業を早くから進めてきたことから農家1戸あたりの経営面積は十勝管内で最大、全国でも有数を誇ります。

1926年(大正15年)4月 大正村に属する。
1947年(昭和22年)9月 大正村から分村、村名を更別村とした。
1948年(昭和23年)4月 幕別町の一部(現在の勢雄区・協和区)を編入。

大正9年測図、昭和5年部分修正地形図 1930年(昭和5年)10月開業のさらべつ駅がありますが、神社も無くまだ地域は発展していません。北更別と書いた地名がありますね。

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更別神社

以下は、北海道神社庁サイト更別神社から。

【由緒】
 昭和3年島根・青森・愛媛各県より団体移住した開拓民一同相議り昭和6年5月11日現在地に社殿を造営し、祭神として天照大神・大国主大神2柱を鎮斎し更別村の鎮守の神社として創祀された。昭和6年9月創立許可を申請し、昭和17年8月11日附無格社として創立を許可された。昭和21年宗教法人となった。

【所在地】
〒089-1500 河西郡更別村字更別南2線91番地

TEL:0155-52-2001
【例祭日】
9月1日
【祭神】
天照大神(あまてらすおおかみ)
大国主大神(おおくにぬしのおほかみ)
【旧社格】
無格社

一ノ鳥居と社号標

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石灯籠(昭和45年7月建立)

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手水舎(手水鉢は平成3年6月奉納)

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石灯籠(昭和13年6月建立)

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狛犬(昭和44年9月建立)

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右側には新しめの社務所がありますが無人です

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境内左側には殉公碑と句碑

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殉公碑(昭和25年8月建立)

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側面には戦没者の名前が刻まれています。

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句碑は「北涯の夜は しんかんと 月渉る」紅霞

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裏面を見ると佐藤紅霞句碑 昭和52年6月26日建立とあり、誰だかさっぱりわかりません^^;

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御朱印

社務所はあるのですが、普段から無人の神社なので御朱印はありません。

 北海道神社庁誌に記載されている宮司名は大正神社宮司なのですが、現在は大正神社の兼務社ではなく、同時に川西神社も大正神社宮司の名前だったことから想像ですが川西神社の兼務社かもしれません。

 以前に、川西神社で兼務社の印(しるし)はあるのですか?と訪ねたら、「ありませんが書くことは出来ます」とのことでしたので、御朱印は無い物と未確認ですがしておきます。