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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

三笠市幾春別町 幾春別神社

幾春別神社(いくしゅんべつじんじゃ)は、北海道三笠市幾春別町3丁目117番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ) 、大國主神(おおくにぬしのかみ) 、大山祇神(おおやまつみのかみ) 、鹿屋野姫神(かやぬひめのかみ)で例祭日は5月12日。

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 かつて炭鉱が盛んだった頃の、企業城下町である幾春別に鎮座する神社で、参道から延びるメインストリートも現在では寂しいものとなっています。

 その通りには、創業1925年(大正14年)の老舗蕎麦屋である更科食堂があって、参拝後に食べようと思っていたのですが、ひと月前の8月に閉店し非常に残念でした。

幾春別(いくしゅんべつ)

 幾春別の地名由来はアイヌ語でイクスンペッ<ikusun-pet>彼方の川〈向こう側にある・川〉幌向にアイヌが住んでいたとき、名付けたという。〈山田秀三補足:幌向川の方に住んでいたアイヌが、あっちの川と呼んだからの名であろう。〉から来ています。

 1882年(明治15年)頃の幌内村設立後から開拓者が入り始め、「郁春別」の当て字を付けていましたが、1889年(明治22年)5月28日に幾春別村が発足した際に「幾春別」と改められました。

 幾春別炭鉱及び奔別炭鉱という二大炭鉱の榮華とともに栄えた幾春別市街地は、幾春別神社通りを中心に百貨店・飲食店などが軒を並べ、戦後は劇場が2つ建てられたほどで、三笠で一番の繁華街と言われた時代もありました。1960年(昭和35年) 当時の人口は、幾春別及び奔別地区だけで約1万5千人にもなりました。

 また、炭鉱発展による炭鉱従業員の増加に伴い児童数が急増し、最盛期の幾春別尋常小学校の児童数は3,600人を超えており、いかに街が繁栄していたかが分かります。(当時、この地域の小学校は幾春別小学校1校のみ)

 1947年(昭和22年) に、幾春別市街で大火が起き幾春別小学校の校舎が全焼、翌年に幾春別小学校から奔別小学校が分離独立し、幾春別小学校の隣に設置されました。幾春別小学校は北炭系、奔別小学校には住友系の従業員の子どもたちが通学していました。一方の学校の運動会のときはその喧騒で授業どころではなかったそうです。(現在はその学校も閉山とともに消滅しています)

北炭幾春別炭鉱

 幾春別の始まりは炭鉱とは切り離せない土地で、1880年(明治13年)開拓使御用係田島純一、山際永吾が幾春別煤田(いくしゅんべつばいでん)及び奔別煤田(ぽんべつばいでん)を発見し、1886年(明治19年)幾春別炭鉱が開鉱しました。
 1888年(明治21年)12月に官営幌内鉄道が開業し郁春別駅(いくしゅんべつえき)ができます。翌年設立した北海道炭礦鉄道に譲渡されるとともに幌内・幾春別炭鉱が同社の経営になりました。1906年(明治39年)北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により官設鉄道に移管。
 以降順調に採炭をすすめていきますが、石炭産業の不振により合理化せざるおえなくなり、1953年(昭和28年)幾春別鉱出炭を停止、保坑に入ります。その後、1957年(昭和32年)には閉山しています。

住友奔別炭鉱

 1900年(明治33年)に奔別の奈良炭礦が開鉱しました。
 1928年(昭和3年)奈良炭礦の経営が住友に移り、1960年(昭和35年)には奔別坑・弥生坑の両坑を統合し、運搬系統の合理化、深部開発・増産などを図るため住友炭鉱立坑櫓が完成し、当時は設備・規模ともに東洋一と言われていました。

1966年(昭和41年)  11月1日、午前2時45分ころガスによる事故が発生。作業中の職員3名、鉱員13名が死亡。鉱員4名が重軽傷を負うという出来事がありました。

 1971年(昭和46年)まで操業され、累計2650万トンの石炭が採掘されましたが、ガス突出事故などにより出炭量維持が困難となり、さらなる合理化のため奔別炭鉱は閉山し資材・人員は住友赤平炭鉱に移されました。

大正5年測図、昭和10年修正地形図

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魚染の滝

 昔の幾春別川は、幾春別神社の丘陵前から大きく北に蛇行し、山裾に沿って幾春別千住町の突き出した崖にぶつかり、南下しながら流れていました。

 明治18年に開鉱した幾春別炭鉱の用地や、市街地の拡大及び鉄道施設の建設のため、川の切り替え工事に着手しました。
 崖を鉱業用ダイナマイトで崩し手掘りでの原始的な工事の最中、一夜の大雨で増水した幾春別川は、作業半ばの堰を破って落下しおよそ10m余りの滝を一挙に出現させ下流と直線で結ばれました。(古い文献では明治21年10月に切り替え工事完了とあります)
 この滝ができた頃、人々はこの滝を「幾春別滝」と呼んでいましたが、滝つぼに魚の群れが見えた事からいつしか「魚染めの滝」と呼ばれるようになりました。滝の周辺は、約4,000万年前の海底に泥がつもった地層から出来ています。

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写真は三笠ジオパーク ジオサイトから魚染の滝

幾春別神社

以下は、三笠ジオパークガイドから

幾春別神社は、1885(明治18)年頃に建立されたといわれています。当初は熊本県の開拓移住者居住地近くに建てられていましたが、1898(明治31)年に現在の場所へ移設されました。 移転時に再建された社殿の棟札には「北海道石狩国空知郡幾春別鎮座 幾春別神社祭神 大国主神、大山祇神、鹿屋野姫神、維持明治三十一年十一月二日再建成」と記され、その最後に「炭砿会社社長高嶋嘉ヱ門 同理事井上角五郎」とあることから、このときにはすでに幾春別炭鉱の山神社でもありました。1935(昭和10)年に社務所が、1951(昭和26)年には不審火により社殿が焼失してしまいましたが、翌1952(昭和27)年に幾春別炭鉱や氏子によって再建されました。社殿は16坪ほどの神明造となっています。 現在は、市来知神社の宮司が兼務しています。

 

以下は、北海道神社庁サイト幾春別神社から。

【由緒】
 明治18年徳島県熊本県の開拓移住者が幾春別市街の中心部に大山祇神を奉斎し無願神社を建立し祭りを行っていた。明治31年現在地に移して社殿の再建がなされた。明治32年大国主神大山祇神鹿屋姫神を奉斎し神社創建を出願し同34年4月無格社の社格をうける。その後基本財産の造成を図り大正9年には社殿とともに社務所も完成して同年5月10日遷座祭を行った。昭和10年4月村社昇格を申請し12月昇格村社となる。昭和12年5月には時の北海道庁長官池田清氏揮毫の村社幾春別神社の社号標を建立した。昭和10年11月16日社務所が焼失し更に同26年5月29日には不審火によって社殿が焼失したが翌27年幾春別砿を始め市街有志によって再建された。宗教法人となるに及んで祭神は天照大御神、大国主神大山祇神、鹿屋姫神を奉斎するに至った。
【所在地】
〒068-2116 三笠市幾春別町3丁目117番地

電話 01267-6-8403
【例祭日】
5月12日
【祭神】
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
大國主神(おおくにぬしのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
鹿屋野姫神(かやぬひめのかみ)
【旧社格】
村社

白い一ノ鳥居(奉納 斉藤久左エ門 昭和5年5月建立 昭和43年5月改修)と、社号標(昭和12年5月建立、揮毫は北海道長官池田清)

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三笠ジオパーク ジオサイト案内

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ちょっと長い階段がありますが、車で上まで行くこともできます。

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階段を上がった先にズッシリとした雰囲気の二ノ鳥居

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振り返るとかつての賑わいは無い神社通り

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写真は三笠ジオパーク説明から『幾春別神社から望む炭山祭り(昭和37年:小島和也氏撮影)』

石灯籠一対(昭和四年度 災害防止成績優良記念 幾春別坑従業員一同)

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春日灯籠一対(大正七年五月 米村勘吉・金﨑清藏)

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手水舎

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手水鉢裏面には何か字が彫ってあるのですが判読できず

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対面にも手水石(奉納 災害防止優良記念 幾春別坑第一区一同 昭和九年春 )

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春日灯籠一対(昭和十一年五月建立 奉納者 松尾博次)

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狛犬一対(昭和十二年八月吉日)

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春日灯籠一対(昭和九年五月建立 奉納者 五味菊平)

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社殿前には年代の違う狛犬二対

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手前の小ぶりな狛犬(明治三十七年五月奉納)は小さいながらも荒々しさがあり、なかなか良いですね。

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お尻の写真(笑) 巻毛の違いは雌雄の違いを表しているのでしょうか?

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後ろの狛犬(昭和三十三年五月建納 石松正鐵)は住友石炭鑛業の社長である石松正鉄氏の名前があります。

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拝殿

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左手には境内社(社名は不明)

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境内社手水石(昭和十一年五月一日建立 彌生鑛業所災害防止安全主婦會)

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境内社狛犬一対(昭和三十三年五月建納 石松正鐵)

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境内社鳥居

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境内社石灯籠一対(昭和三十一年九月吉日 河部安雄・河部大記)

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境内社お社

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境内社左手にある石祠(北炭のマークがあるのでその関係?)

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更に左には馬頭観世音碑(大正十年八月十四日)

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境内右手の薮の中には忘れ去られた感じの忠魂碑(大正四年八月建立 陸軍大将伯爵 寺内正毅)がありました。

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御朱印

参拝時には無かったのですがどうやら2021年11月ごろに御朱印が出来たらしく、戴いたら詳細をアップしたいと思います。