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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近はほとんど気楽な食レポが多いです。

【御朱印なし】江別市西野幌 野幌神社

野幌神社(のっぽろじんじゃ)は、北海道江別市西野幌155番地にある神社で、旧社格は村社。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、大国主之大神(おおくにぬしのおおかみ)、伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)で例祭日は9月1日。

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江別市西野幌地区

 江別市は大麻地区、野幌地区、江別地区の3地区に大きく分けられ、野幌の名はアイヌ語で「野の中を流れる川」を意味する「ヌプ・オル・オ・ペツ」か、「濁った所」を意味する「ヌプル・オッ」に由来する。

 野幌は現在のJR野幌駅北側にあった野幌兵村《1885年(明治18年)に江別兵村と隣接した地に、屯田兵第一大隊第四中隊の屯田兵138戸、翌年には87戸の計225戸が入植して野幌兵村を形成》とは別に、明治19年(1886年)設立の北越殖民社《新潟県長岡で越後国南蒲原郡下鳥村(現新潟県見附市)出身郷士の大橋一蔵らが中心となって設立した会社》が、明治23年5月に越後から入植者を率いて東西野幌地区に入り、翌年6月には135戸632人までになりました。

 設立者でもある大橋一蔵は明治22年に急逝しますが、その後を継いだ関矢孫左衞門が指導に当たり明治24年5月「瑞雲寺」が竣工。8月には神社地を選定し、そこに「降神之処」と記した神標を立て祭文を奉じ神事を行います(後の野幌神社)。明治28年には社殿と拝殿を建立し故郷越後から弥彦大神の分霊を奉納しました。

 その後の過酷な開拓事業や明治31年9月の大水害により多数の移民が土地を離れましたが、明治32年の道庁による調査結果、全地成功と認められ北海道国有未開地処分法による無償附与許可が与えられました。

 北越殖民社は民間会社として、集団移住の中でも稀にみる成功例の一つとして挙げられます。

大正5年測図、昭和10年修正地形図

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野幌神社

以下は北海道神社庁サイト野幌神社から。

【由緒】
 明治23年5月北越殖民社の移民518名が新潟県より入植し、翌24年入植地の中央に位置する現在地を神社地と定め、神標を建て「降神之処」と記し、御祭神として天照皇大神を始め大国主大神、郷土新潟の産土神伊夜日子大神を奉祀し、北越殖民社社長関矢孫左衛門が斎主となり、郷土の鎮守神社「野幌神社」として神護を祈る。
明治28年4月本殿・拝殿を建設、明治30年野幌神社創立願を提出し、明治35年無格社「野幌神社」に指定される。
明治32年社務所、明治36年神楽殿建設、昭和3年現社殿竣功。昭和4年10月25日村社に列せられる。昭和27年宗教法人登記、平成元年御鎮座百年記念奉祝祭を斎行。

【所在地】
〒069-0832 江別市西野幌155番地

【例祭日】
9月1日
【祭神】
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
大国主之大神(おおくにぬしのおおかみ)
伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)
【旧社格】

村社

【境内外末社】

社日神社 天地五神
文京台神社 天照皇大神

一ノ鳥居と社号標

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社号標は昭和5年9月1日建立、脇の石灯籠は紀元二千六百年記念 九月一日とある。

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参道左側には奉安殿らしき江別レンガ作りの建物で、野幌開基七十周年記念館と書かれていて何が収められているのかは不明。

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二ノ鳥居

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石灯籠(大正9年4月吉日 星野長右衛門 敬具)

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歌碑らしきものだが、判読できませんでした。

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手水舎

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手水鉢には大正5年4月25日 還暦 小倉乙平とあります

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神楽殿でしょうか?

移民団の故郷である、新潟三条の八幡神社に伝わる三条神楽を引き継いだ野幌太々神楽は、無形民俗文化財として江別市に指定されています。

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左手奥には無人の社務所。野幌神社は北広島市にある廣島神社の兼務社であり、残念ながら御朱印はありません。

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トイレあります。意外とこれ大事(笑)

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新しい石灯籠(平成15年9月建立)

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狛犬(大正9年4月建立、当時の社掌 久米田徳太郎の名も刻まれています)

台座には「江別町 石工 宮内栄吉」とあり、腕の確かな石工さんですね。

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丁度良い感じの着色です

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表面に御祭神名(三柱)が刻まれた石柱。

側面には「明治二十三年四月二十五日鎮座」、裏面には「昭和三十年九月一日建設 奉納 創業六十六年記念 新潟県南蒲原郡井土巻村出身 故荻野桐平 嗣子荻野田作」とある。

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隣には鳥居がある社日神社

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拝殿は白を基調とした壁の建物で2017年に社殿や神楽殿の修繕を終えたようです。

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建物脇には石杭で囲われたイチイの木と御神木の句碑があります。

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頌徳碑(しょうとくひ)

吉田島薫平翁頌徳記とあり明治34年新潟県北魚沼郡川口村生まれで昭和4年3月北海道帝国大学農学部を卒業後、この地で農業自営の傍ら北越植民社農場の経営にあたった。
同時に野幌実科農学校の教壇で子弟の育成に当たるとともに、昭和9年から江別町会議員として町勢の伸展に力を尽くした。第二次大戦後新生日本建設のため農地改革が断行されたが、翁は植民社の現地責任者として円満な農地開放を実現し植民社の歴史に有終の美を飾った。その後昭和22年に初の民選町長に当選し、後に初代市長の重責を担った。(このあとも説明碑は色々続く。)
平成3年9月1日社団法人野幌報徳会

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社殿左手には鳥居・手水鉢・石灯籠一対を備えた石祠があり、石碑もあります。石祠は初期の植民社の中心的人物の一人でもある三島億次郎を祀っています。

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石灯籠(大正3年4月)

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手水鉢(明治31年4月?と微かに読めます)

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石祠の記(この石祠の説明がありますが判読しにくいです)

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 表面は読みにくかったのですが、裏面にも刻まれていてこちらはしっかりと読めました。

沿革
三嶋翁は北越植民社創立の初より其の事に尽力せられ廿三年本社に越年し老漢隆寒病に罹り翌年国に帰り同二十五年三月二十五日卒享年六十八歳翁
野幌開拓に従事せらるる尤も之を勧めたるを以て古志より移住せる人に土田金蔵首唱本社始め人々醵金し石祠を建つ後世其の恩恵に酬しと欲する也

昭和14年11月建設

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石祠の側面には家紋の丸に揚羽蝶(桓武平氏清盛流)がありますね。

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境内地の右側には野幌農村環境改善センターがあり、その緑地にも様々な石碑があります。

「開村五十年記念」碑(昭和14年6月30日)

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「江別市立野幌中学校旧校舎跡」碑

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「推譲百年」碑

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あと、写真フォルダーが壊れたので写真は失われましたが、「野幌開基百年」碑や草木の中に「玉乃花引退記念」と刻まれた石灯籠もありました。

結構な石碑の数であり一つ一つ確認するだけでも時間はかかりますね。