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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】函館市(旧南茅部町)尾札部 尾札部稲荷神社

尾札部稲荷神社(おさつべいなりじんじゃ)は北海道函館市尾札部町473にある神社で、神社本庁に属さない北海道神社協会の神社で旧社格は村社。御祭神は宇迦廼御霊命(うかのみたまのみこと)で例祭日は7月7日。

 神社は尾札部の旧国道沿いの尾札部漁港前にあり、山側にバイパスも出来たこともあり、狭い旧道の交通量は少なくアクセスしやすくなりましたね。参道入口からの眺めは、二基の朱色の鳥居が良い感じに重なりステキに見えます。

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尾札部地区

 尾札部(おさつべ)は、延宝5年(1677年)に能登の人、初代飯田屋与五左衛門が、最初来住の砂原場所から尾札部場所の八木浜に移り住み尾札部村和人定住の始めと伝えられています。

 尾札部の地名由来はアイヌ語で、オサペ<o-sat-pe>川尻・乾く・もの(川)[山田解:土地で聞くとこの川の水はいつでも流れているという。ただし、砂利川であり、乾水期に水がしみ込んで乾いた所が広がり、この称があったのだろうか。]から来ています。

 1959年(昭和34年)尾札部村と臼尻村が合併し南茅部村となり、その後、南茅部町は2004年12月1日 函館市に編入されました。

 地域の産業は漁業が主で、特に昆布は真昆布の採取地の中でも最上浜と呼ばれている所で「白口浜真昆布」と言われ、日本一の最高級昆布として天皇家に献上されています。

 また、北海道建網(たてあみ)大謀網(だいぼうあみ)漁業発祥の地として記念碑も建っていて、天保10年(1839年)尾札部村の三代飯田屋与五左衛門と臼尻村の小川屋幸吉が計画して、南部の人田鎖丹蔵を招きその指図で当時陸中で成功していた田代型大網(鮪大網、後に田代型大謀網と呼ばれる)を建網したと伝えられる。これが北海道における定置網漁の始まりであり記念碑が建てられました。

尾札部神社

 この地域における神社の勧請は、尾札部稲荷神社が最も古く延宝7年(1679)、飯田屋与五左衛門が南部三戸郡福岡(岩手県二戸市)の呑香(とんこう)稲荷へ参詣してこれを授けられて、尾札部村に祀ったといわれている。

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尾札部稲荷神社 大正7年 北海道所蔵

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尾札部稲荷神社 昭和48年改築

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東蝦夷地六箇場所(場所請負)の尾札部場所があったことを知らせる碑

昭和53年7月建立(漁業開拓三百年記念)

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二ノ鳥居

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御影石の狛狐(平成5年7月建立)

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御影石の石灯籠(昭和62年建立、鎮座三百拾年記念で奉納者は稚内の人)

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手水舎

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御影石の狛犬(昭和62年建立、鎮座三百拾年記念)

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社殿右隣りには龍神堂があり、宮司さん曰く300年前に地引網で引き上げられた岩が龍?蛇?の模様があることから御神体として古くから漁民によって祀られているとのこと。

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社殿左奥にはあまり綺麗に管理されていない忠魂碑。

大正7年2月建立で揮毫は「安正書」とあり、陸軍大将男爵福島安正の書である。

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御朱印

御朱印は左側の住宅に垂(しで)が、かかっていてチャイムを鳴らすと対応して頂けます。

初穂料は300円。御朱印ありがとうございました。

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