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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

山越郡長万部町国縫 国縫神社

国縫神社(くんぬいじんじゃ)は北海道山越郡長万部町字国縫171番地40にある神社で旧社格は不明。御祭神は応神天皇(おうじんてんのう) で例祭日は9月15日。

2020/1/11追記:北海道神社庁誌(1999)によると、由緒は「明治28年8月15日村内代表として大森初太郎が函館八幡宮より御分霊を戴き、村内の発展と安全を祈る目的で奉斎し、爾来氏子崇拝者一同崇敬の念篤く村内守護神として今日に至る。平成7年に御鎮座100年を迎えるにあたり、平成4年10月に拝殿屋根張り替えと土台廻りを補修工事。平成5年7月に総工事費450万円にて御社殿ない外部改修工事を実施した。」とあります。

 国道沿いに石灯籠と狛犬がある建物はあるので、それが国縫神社だと思ってたら違っていて、そこはなんかお寺の建物でしてその裏にある建物が神社でした。

 神社の参道は殺風景で何も無く、国道と並行した方向で鳥居はあるけど、狛犬や石灯籠なんかも無く手水鉢のみある寂しい神社です。

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 国縫の地名由来はアイヌ語で諸説あり定かではありませんが、クン(ネ)ヌイ<kun(ne)-nuy>黒い・野火、クンネナイ<kunne-nay>黒い(暗い)・川《昔フリカムイ〈伝説上の巨鳥〉が飛んできて、空が暗くなったため。》、クンネ<kunne>黒《海浜に砂鉄があって黒かったため{この浜一帯は砂鉄の多い所で、戦後間もなく何か特殊鋼の原料として採取されていたという。}》といわれています。

 1669年(寛文9年)に起きたアイヌ民族の大規模蜂起であるシャクシャインの戦いでは国縫川を挟んで松前藩と戦闘になった古戦場もあります。
 また国縫駅はかつてあった国鉄瀬棚線の分岐駅でもあり交通の要所であった時代もありましたが、現在は瀬棚線もなく無人駅となっていて、北海道に数多くある1日乗降平均が10人以下の駅の一つです。

大正6年測図、昭和6年鉄道補入、昭和20年部分修正地形図 地形図には神社記号は無く、地名も訓縫(國縫)と書かれていますね。そして国縫駅からは国鉄瀬棚線が分岐しています

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参道の周りは原っぱで何もありません

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裏側には建立年らしきものが刻まれているようですが判別できません。

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何も見るところが無いのであっという間に拝殿まで来ちゃいました。

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手水鉢

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お隣(国道側)には寺院

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これが最初神社だと思っちゃった建物です。

石灯籠の背後には四角い狛犬(笑)

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長万部の飯生神社に寄って、御朱印の有無を聞いた所ありませんとの事ですが、将来的には出したい雰囲気の事も言っていたので気長に待ちますか。

下の写真は飯生神社FBから取得しました。(

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