page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】雨竜郡秩父別町 秩父(ちっぷ)神社

秩父神社(ちっぷじんじゃ)は北海道雨竜郡秩父別町4103番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、大国魂神(おおくにたまのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)で例祭日は9月15日。

 秩父神社で検索をかけても、出てくるのは必ず埼玉県秩父市の秩父(ちちぶ)神社で、秩父別(ちっぷべつ)にある神社がなぜ「別」を抜いた神社名なのかは不明です。

 また、この神社も雨竜屯田兵が入植した納内兵村の納内神社、一已兵村の大國神社と同じく屯田兵ゆかりの神社です。

 6月の参拝なので、一ノ鳥居を過ぎた辺りからカラスがスーッとやってきて、樹の上から様子を伺っています。参道は長く奥に進むにつれだんだん警戒行動をし始め、仕方なく傘をさして参拝です。

 

一ノ鳥居は鋼製鳥居です

f:id:ksn-bee:20190818222429j:plainf:id:ksn-bee:20190818222501j:plain

秩父別町

 秩父別(ちっぷべつ)の地名由来はアイヌ語で、

チクci-kus-pet>我ら・通る・川(通路ある川)
ペ<cip-kus-pe>舟が・通る・もの(川)この湿原の中を舟で交通した時代があってこの名が出たのではなかろうか。

とあり、どちらとも特定しがたいとのこと。

  深川・妹背牛・雨竜・北竜・沼田など一帯が1889年(明治22年)設立の華族組合雨竜農場の所有地で筆頭農場主三条実美公爵・蜂須賀茂韶侯爵・菊亭修季侯爵などが経営に乗り出しますが、三条実美の死去により1893年(明治26年)に解散、その後蜂須賀農場となります。

 1892年(明治25年)に一已、多度志、納内にまたがる蜂須賀農場の一部を返還させ陸軍省に移管。

 その後、屯田兵第1大隊第1および第2中隊計400戸が1895年(明治28年)と1896年(明治29年)に入植し西秩父別兵村及び東秩父別兵村を開村しました。

大正5年測図、昭和7年鉄道補入地形図 整然と並んだ家屋から秩父別兵村の区画割が分かり易いですね。また駅名は筑紫(ちくし)とあり、町名の語源の一つとされる「チクㇱペッ(ci-kus-pet)」から付けられ、のちに村名に合わせる形で1954年(昭和29年)秩父別駅に改称されました。

f:id:ksn-bee:20190818220920j:plain

秩父神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 本神社は、明治28年5月15日、屯田兵移住の当初開拓守護神として旧練兵場西北隅の丘地に小祠を建て天照大神・大己貴神・少彦名神を祀ったことに創まるとされる。爾来開拓の歩の進むに伴ない氏子の数も増加したため、明治36年現在地に神殿を造営遷座し、翌37年4月拝殿を建築し、40年7月神社公称の認可を得て無格社となった。同年9月官幣大社札幌神社御祭神大国魂神の御分霊を増祀して4祭神とし、大正2年11月村社に昇格し、同年12月20日神饌幣帛料供進神社に指定された。同8年には神明造の拝殿・幣殿を建築し続いて鳥居を建立、更に昭和19年には篤志家の寄進によって本殿を改築した。昭和21年宗教法人となった。神社裏は明治37・8年戦後の戦勝記念に植樹された古木が繁り、社前や神域のニレの大木は開拓当時をしのばせる風情を残している。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
滝の上神社 天照大神 大名己貴大神 大国魂大神 少彦名大神 明治41年創祀 平成9年3月合祀
【所在地】
〒078-2100 雨竜郡秩父別町4103番地
電話 0164-33-2682
【例祭日】
9月15日
【祭神】
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
大己貴神(おおなむちのかみ)
大国魂神(おおくにたまのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
【旧社格】
村社

一ノ鳥居の右隣には開村記念碑

f:id:ksn-bee:20190818222443j:plain

二ノ鳥居は鋼製鳥居で一ノ鳥居と同じで塗り直したのか艶々です

この辺りからカラスが警戒し始めます。

f:id:ksn-bee:20190818222538j:plain 

 

 由緒記 

f:id:ksn-bee:20190818222553j:plain

トイレあります

f:id:ksn-bee:20190818222605j:plain

大きめの石灯篭(昭和39年9月建立、開基七十年記念)

f:id:ksn-bee:20190818222620j:plain f:id:ksn-bee:20190818222633j:plainf:id:ksn-bee:20190818222645j:plain

馬頭観音ではなく馬頭明神と書かれています

f:id:ksn-bee:20190818222658j:plain

馬頭明神碑に並んでたくさんの地神碑が並んでいて、村内のあちらこちらにあったものをここに纏めて置いているのですね多分。

f:id:ksn-bee:20190818222712j:plain f:id:ksn-bee:20190818223316j:plain

三ノ鳥居は石鳥居で大正14年8月建立

f:id:ksn-bee:20190818222724j:plain

f:id:ksn-bee:20190818222751j:plain

なんて書いてあるのか不明な碑。(後で調べたら地神宮らしい)

カラスが怒って木の枝を折り落とし始めますので傘をさしました。

f:id:ksn-bee:20190818222802j:plain

f:id:ksn-bee:20190818222821j:plain

石灯籠(大正6年9月建立)左側は想像ですが祭りの日かなんかで業者のトラックがぶつけたのか欠けてズレています。

f:id:ksn-bee:20190818222835j:plain f:id:ksn-bee:20190818222854j:plainf:id:ksn-bee:20190818222911j:plain f:id:ksn-bee:20190818222922j:plain

狛犬(大正10年5月建立) 丸い体形でなんか愛嬌がありますね。

f:id:ksn-bee:20190818222934j:plain f:id:ksn-bee:20190818222954j:plainf:id:ksn-bee:20190818223007j:plain

注連柱(しめばしら)昭和9年10月建立 北海道の神社では注連柱は珍しいです。めったに見ません。

左には恩雨五穀豊。右には恩露蒼生潤と書かれています。

f:id:ksn-bee:20190818223020j:plain_f:id:ksn-bee:20190818223031j:plain

手水舎 手水鉢は明治43年4月奉納

f:id:ksn-bee:20190818223108j:plain f:id:ksn-bee:20190818223121j:plainf:id:ksn-bee:20190818223133j:plain

塗り直したと思う神楽殿

f:id:ksn-bee:20190818223145j:plain

忠魂碑(明治43年4月建立)

f:id:ksn-bee:20190818223159j:plain f:id:ksn-bee:20190818223213j:plain

f:id:ksn-bee:20190818223237j:plainf:id:ksn-bee:20190818223225j:plain f:id:ksn-bee:20190818223249j:plain

神社の鈴を振ったら上からゴミがいっぱい落ちてきました(´・ω・`)

f:id:ksn-bee:20190818223303j:plain

御朱印

参道左に大きな駐車場と社務所がありチャイムを鳴らすと対応して頂けます。

初穂料は300円を納めさせて頂きました。

御朱印ありがとうございました。

f:id:ksn-bee:20190818222417j:plain f:id:ksn-bee:20190818222512j:plainf:id:ksn-bee:20190818222524j:plain

f:id:ksn-bee:20190818223329j:plain

www.moiwa-orosi.com