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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】赤平市 赤平神社

赤平神社(あかびらじんじゃ)は北海道赤平市泉町4丁目3番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ) 、大山祇大神(おおやまつみのおおかみ) で例祭日は9月8日。

 神社は赤平市役所近くの空知川左岸に鎮座していまして、この周辺地域の中では一番でかいであろう鳥居がドーンと目立つ神社です。

 参道は広く二ノ鳥居まではアスファルト舗装されており車両の出入り口にもなっています。

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赤平市

 この街も周辺の歌志内市や芦別市と同じく炭鉱によって栄え、閉山と共に衰退していった都市で、産業構造の転換を図り工業団地を造成し企業を誘致しますが成功したのかはよく判りません。

1891年(明治24年):入植開始
1913年(大正2年):国有鉄道の上赤平駅(現赤平駅)開業
1918年(大正7年):茂尻炭礦開坑

 昭和期に入り赤平3山と呼ばれる昭和電工の豊里、北炭の赤間、住友の赤平の各炭鉱が採炭を始めます。
1937年(昭和12年):昭和電工豊里炭砿開坑
1938年(昭和13年):住友石炭鉱業赤平炭砿・北海道炭礦汽船赤間炭鉱開坑
 昭和30年代後半の最盛期には、これら3つの石炭積込専用線から毎日200両近い石炭車が赤平駅へ吐き出され、長大貨物列車となって全国へと向かって行きました。

 昭和40年代になると國のエネルギー政策の転換により相次いで閉山。
1967年(昭和42年):昭和電工豊里炭鉱閉山
1969年(昭和44年):雄別茂尻炭鉱閉山
1973年(昭和48年):北海道炭礦汽船赤間炭鉱閉山
1994年(平成6年):住友石炭鉱業赤平炭鉱閉山

 石炭産業で栄えた頃の最盛期には59,430人の人口(1960年)を擁しましたが、現在は1万人弱まで激減しています。

 赤平には標高197mのズリ山に777段の階段が設けられ、頂上から赤平市街地のほか、暑寒別岳や十勝岳を一望することができる展望地となっています。またそれを活用してズリ山階段頂上777段より222段までの全長 307m、最高速度 14.5km/h、平均速度 10.9km/h、高低差 92mもある日本一最速流しソーメンも話題になりました。

赤平の地名由来はアイヌ語ですが諸説あり、

フレピラ<hure-pira>赤い・岩  [hure-piraの半訳地名。(赤いピラ→赤平)]
ワッカピラ<wakka-pira>水・崖 [元来がアイヌ語地名と思われ、wakka-piraぐらいの名であったろうか。]
アカピラ{ ?-pira(前半部不明)}山稜の・崖 [現滝川公園の沼の崖が発祥地。]

とあります。

大正6年測図地形図 現在地の赤平神社にはまだ神社がなく周辺には神社記号が見えます。

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赤平神社

以下は、北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 明治28年春、石川県江沼郡動橋(加賀市)より団体長寺西幸三郎大人等48戸が此の地に入植、同年8月遥拝所建立を建議、既ち国家の隆昌と村落の幸福を祈り一致団結し初志の貫徹を計り以って朝夕に参拝せんことを決議した。一同狂喜して此の挙に賛し直ちに郷里振波志宮の御祭神天照皇大神を奉斎した。爾来拓地植民の功程順調に進み炭砿開発に伴ない、大正7年伊予国大三島に神鎮座す大山祇大神を勧請合祀し、諸人崇敬愈々篤く現赤平公園に遷座し昭和7年無格社赤平神社を設立。12年村社に昇格、25年8月現在地に遷座、同28年3月宗教法人となる。同59年8月社殿造営社務所等を改築、並びに境内整備事業を竣工し遷座祭を斎行。同60年6月創祀九十周年記念奉祝祭斎行すした。平成4年1月議を決し多年に至る賃貸借地の境内地を大蔵省より取得。同7年7月創祀百周年記念事業を終え、同奉祝祭並びに記念式典を斎行した。
【所在地】
〒079-1134 赤平市泉町4丁目3番地
電話 0125-32-3003 FAX 0125-32-4720
【例祭日】
9月8日
【祭神】
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)
【旧社格】
村社

開拓碑(昭和5年8月建立)碑文は「明治二十八年石川県人団体寺西幸三郎桶川小与門外十五名移住開拓ス」とある。台座にはその子孫の名前が刻まれています。

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二ノ鳥居

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御造営記念碑(昭和60年6月建立)創祀九十年記念

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開拓顕彰碑(昭和59年10月建立)

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慰霊碑(昭和28年9月建立)脇にある戦没者氏名のには同じ名字がたくさんあり一族の多くが戦死したケースもありそうです。

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境内社:赤平稲荷神社

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手水舎

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白色大理石の狛犬(昭和59年8月建立)中華製っぽいですね。両方ともがま口みたいな口を大きく開き玉を咥えていますが、奥に玉があるので喉つまりしそうな感じです(笑)

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なんなんだこれは

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社殿の屋根は途中から勾配が変わっているのですね。最初カメラのレンズの影響かと思って斜めからも撮ったけど、やっぱり変わっていました。

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御朱印

二ノ鳥居の手前に広い駐車場があり、社殿左側に社務所もあります。

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御朱印をいただき初穂料を渡した後、こちらが「ありがとうございました」と頭を下げて言い終わらない内に、プイッと居なくなる神職(権禰宜?)。一体どういう教育を受けているのでしょうか?疑問に思える出来事でした。

初穂料は300円を納めさせて頂きました。

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