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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】函館市陣川町 北海道東照宮

北海道東照宮(ほっかいどうとうしょうぐう)は北海道函館市陣川町82-153にある神社で旧社格は県社。御祭神は東照大権現(徳川家康公)で例祭日は6月17日。別名函館東照宮。

 境内には、建立当時の場所にあり箱館戦争の戦火をくぐり抜けた弾痕の残る手水鉢や、石工井上喜三郎(五稜郭や弁天台場の石垣を手がけた)作の狛犬も移設され存在します。

 北海道東照宮の由来は、江戸幕府による蝦夷地統治政策の一環で、北海道日高の様似に蝦夷三官寺の1つとして文化三年(1806)徳川十一代将軍家斉によって建立された等澍院にて文化11年(1814年)外敵退散、鎮護国家、蝦夷地繁栄の願をかけられ祀られていた東照大権現を、1864年(元治元年)江戸幕府が五稜郭を建設するに伴い、五稜郭の鬼門にあたる上山村(かみやまむら、現在は神山稲荷神社が建つ)に遷座する形で創建された。この際、上山は神山と改名され例大祭が盛大に行われるなど、同社は「蝦夷日光」と呼ばれて信仰を集めた。

 箱館戦争では、旧幕府軍は五稜郭北方の防御拠点として四稜郭のほか、東照宮に陣地(権現台場)を急造し、明治2年5月11日(1869年6月20日)の箱館総攻撃で権現台場も戦場となり、官軍の長州藩兵により火が放たれ社殿が焼失しました。

 その後、1874年(明治7年)6月に谷地頭に仮社殿を建てた後、1878年(明治11年)12月に南新町(現在、元町配水場がある場所)へ、さらに1879年(明治12年)4月には亀若町(現在の宝来町)へ、1934年(昭和9年)函館大火により一時湯倉神社に避難したりなど函館市内を転々としたあと、1992年(平成4年)に創建の地神山の奥の現在地へ移転しました。

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明治期に村社降格後(東照大権現を祀っていることが原因?)、1922年(大正11年)県社に昇格していたのですね。

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かなり立派な手水舎の屋根です

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明治十九年戌十一月五日 神山村ヨリ是運搬 三番組 中 よ組

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左:奉献 東照宮 御宮前 箱館奉行 小出大和守藤原實殿

右:元治二年乙丑 四月十七日

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手水鉢に残る弾痕

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魚貝塚の供養塔

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狛犬は神山にあったものを模したらしいですがオリジナルには及びません

宝来町御鎮座百年記念 昭和53年6月吉日建立

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奉斎 月夜見尊(つきよみのみこと)

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純忠碧血神社 幕臣や會津藩士、仙台藩士などを祀る

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神輿殿 中には立派な神輿がありました

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手前:高松宮妃殿下御手植樹
旧名は徳川喜久子(とくがわ きくこ)徳川慶喜の七男で公爵の德川慶久の次女
奥:秩父宮妃殿下御手植樹
旧名は松平節子(まつだいら せつこ)旧会津藩主・松平容保の六男で外交官の松平恆雄の長女 

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 狛犬 元治二年四月十七日奉納 箱館奉行組頭調役平山謙次郎其外 石工井上喜三郎
神山旧東照宮にあったものを、明治19年蓬莱町鎮座時に手水鉢と共に運搬。その後昭和9年の函館大火で罹災し阿形が崩壊し吽形のみ現存。現在社殿前にある狛犬一対は、この喜三郎作の狛犬を模し復元したものである。

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後ろには崩壊した阿形

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 御朱印

道路上にある案内板と大きな駐車場

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立派な社務所

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葵紋があちらこちらにあります

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五稜郭ジンギスカン鍋¥7,560は製造元にて販売しているみたいです

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この大砲みたいなのはドン菓子砲(ポン菓子製造機)

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初穂料は300円を納めさせて頂きました。

御朱印と一緒に小さな御守りを戴きありがとうございました。

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北海道東照宮に向かう途中にあった派手な施設は、温泉と一緒に私設の稲荷神社があるのですね。

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www.moiwa-orosi.com