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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】函館市青柳町 函館護國神社

函館護國神社(はこだてごこくじんじゃ)は北海道函館市青柳町9番23号にある神社です。神社本庁に属さない単立神社で旧内務省指定護国神社。御祭神は護国の英霊13,000柱で例祭日は5月11日。

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函館護國神社

 明治2年5月の箱館戦争の後、大森浜で官軍方戦没者の慰霊祭を行い、函館山山麓の現在地に社殿を創建したのに始まる。同7年に官祭招魂社となる。当初、その祭日は、5月11日であったが、明治10年に6月20日に改め、大正2年からは現在の5月11日になった。同10年の西南の役に際し、その戦死者の霊も合祀す。

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石段と一ノ鳥居

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参道両側に停まっている車は、神社とは関係のない隣のレストランの従業員なんでしょうねえ・・・

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石段上から振り返ると湯の川方面の海岸線が見えます。

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手水舎 水盤は昭和17年 奉仕 宮本武之助

宮本武之助は布衣より身を起こし一代にして巨万の財をなし、敬神者であり清廉高潔な人格者として知られる。

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阿部たつを歌碑(大正、昭和にわたり函館で小児科医として活躍するかたわら、函館護國神社の献詠和歌の撰者であった人。) 「 人恋し遠山の雪ほのぼのと春の夕日に茜さす頃 」

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阿部慧月の句碑(阿部慧月、本名は冨勇。明治38年十勝に生まれる。大正15年ホトトギスに投句、爾来高浜虚子に師事。昭和46年に函館ホトトギス会を結成。) 「 いわし雲 港の景は 暮れにけり 」

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偕行会記念碑(昭和55年11月3日に函館地方偕行会が結成30周年を記念して、戦中、戦後の困難な時代状況の中で幾山河越え来る往時をしのび、誓いを新たにするために建立された。)

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帝国海軍駆逐艦「橘」鎮魂の碑

 昭和20年7月14日午前5時、青函連絡船及び船舶の護衛の任務にあたっていた駆逐艦「橘」(1,260トン)は、来襲した敵機約100機の襲撃を一手に引き受け、湾内、湾外に勇戦奮闘し、敵機6機撃墜、1機撃破したが、午前6時53分葛登支岬灯台(北海道北斗市)の90度2分に沈んだ。乗組員280名中、戦死者140名、戦傷者31名を悼む慰霊碑。

 函館空襲を調べていたとき、自由な戦闘および回避行動のとれる津軽海峡に出ず湾内にいる連絡船などを守るために、たった1艦で奮闘して沈んだ「橘」の戦闘記録を読んだことも、ここに来たかった理由の一つでもあります。

 ちなみに僚艦の「柳」は福島港外に停泊しており後に攻撃を受けて艦尾切断、舵機室・推進機能喪失の損害を受け戦死者21名、負傷者59名を出し大湊まで曳航されました。福島町館崎メモリアルパークに「駆逐艦柳平和記念塔」が設置されています。

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写真は同型艦「初桜」

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戦後引き上げられた船体からは遺骨80体が出てきたそうです。

主砲は最後まで対空戦闘していたので空を向いたままですね。

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少年海員の碑

 昭和16年5月、日本海運報国が函館市の協力で函館普通海員養成所を開設し、後に船舶運営会に継承され、昭和20年8月の終戦となった。この間、卒業生にして戦時の海上輸送に挺身した若人は2,000名を超え、そのうち120名は帰らぬ人となった。また、国鉄函館船員養成所の生徒14名も戦死した。これら少年海員を偲び、御霊安かれと祈った碑。

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裏参道石鳥居 昭和八年 宮本武之助 石匠 大阪 平清

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文字が消された跡がありますね(GHQの指令でしょうか?)

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招魂場碑

 官軍総督清水谷公考の揮毫ともいわれている。この石碑は高田屋の亀石ともいわれており、高田屋嘉兵衛が、ある年の暮れに仕事がなくて困っている人々に賃金を払って、近くの住吉の海中から大石を引かせて引き上げたもので、亀の形をしていることから亀石といわれている。

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「大地への献身」の碑

 太平洋戦争末期に農家の人手不足及び緊急食糧確保のために全国から北海道に来た学徒援農隊を記念する碑。

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鎮魂碑

 太平洋戦争中、南太平洋地区、西イリアン、東ニューギニア・ソロモン群島周辺で戦没した将士の慰霊碑。
そばの自然石の歌碑には次のとおり記されている。

 「 わが立てる臥牛の山は低くして南海は見えず吾子はかえらず 」
                        北海道 正木安子

 「 この果てに君ある如く思われて春の渚にしばしたたずむ 」
                        丹野きみ子

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何故か撫でフクロウ

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御朱印

社務所そばに数台の駐車場がありますので、絶対路駐はヤメてね。

御朱印は基本書き置き渡しですが、日付は入れてもらえます。

初穂料は300円。

御朱印ありがとうございます。

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