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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】久遠郡せたな町北檜山区 玉川神社

 玉川神社(たまかわじんじゃ)は北海道久遠郡せたな町北檜山区丹羽7番地5にある神社で旧社格は無し。御祭神は岩木山神社の御祭神である坂上苅田麻呂命(さかのうえのかりたまろのみこと)、坂上田村麻呂命(さかのうえのたむらまろのみこと)で例祭日は9月6日。

なが~い参道と、なが~い石段が特徴的で、拝殿までは車で行くことも出来ます。

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北檜山区丹羽(にわ)

 瀬棚郡瀬棚村、利別原野の開拓願いを許された丹羽五郎(にわごろう[1852~1928])が、旧会津藩領であった猪苗代千里村の住民12戸とともに開拓に入ったのが始まりで、彼の名前から丹羽村と称する。

 1941年(昭和16年)丹羽村建村50年祭が営まれ、会津松平家当主松平保男の額題による頌徳碑が建立されました。

丹羽五郎(にわごろう)とは

 1852年5月2日(嘉永5年3月14日)会津藩重臣丹羽家(1000石)の分家(100石)に生まれる。

 丹羽家は織田信長の重臣であった丹羽長秀の一族であり、会津藩丹羽家は本家が1000石を食み丹羽五郎の曽祖父の丹羽能教は家老であった。1863年(文久3年)に丹羽家当主の「丹羽勘解由」が病死のため、丹羽五郎は12歳の若さで丹羽本家の当主となり跡を継ぐ。

 戊辰戦争時は会津藩主・松平喜徳の側近くで仕えたが、この戦いで父の丹羽族(やから)を含む一族40名以上を失い、従兄弟の永瀬勇次、有賀織之助は白虎隊士として自刃します。

 戊辰戦争後、名前を田村五郎と変え1872年(明治5年)警視庁入りし1877年(明治10年)の西南戦争に従軍。二等少警部であった丹羽は抜刀隊(抜刀隊遊軍分隊長)に選抜され田原坂の戦いで奮戦する。五郎の分隊は100人の内、戦死者33人、負傷者50人、無傷の者は五郎を含め17名に過ぎなかったほど過酷な戦いであった。

 西南戦争後、本名に戻り神田和泉橋警察署長まで昇進するが、北海道開拓の志を抱き1891年(明治24年)退職。

 1892年(明治25年)3月21日最初の開拓移民一行と共に瀬棚郡瀬棚村利別原野に入植。 1913年(大正2年)2月19日 開拓農地1000余町、276戸1380余人入植の功績が認められ藍綬褒章を受賞する。

 丹羽村繁栄のために生涯を尽くし1928年(昭和3年)9月6日、76歳で没する。

大正6年測図、昭和8年鉄道修正地形図 山のてっぺんに神社が有るのが分かります。

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玉川神社

以下は北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 明治25年、福島県入植者の丹羽五郎が入地の際、青森県岩木神社の祭神坂上苅田麻呂命・坂上田村麻呂命の御分霊を戴き地区中央の高台に社を建立したことに始まる。社殿は幾度か改築され、昭和16年7月に秋田檜材で改築されたものが現在の社殿である。以前は社殿の他、神楽殿、展望台があったが老朽化してしまい、展望台だけが残っている。当時、例祭は住民総がかりで準備をすすめ、瀬棚・太櫓・久遠はもとより、八雲・長万部にも広告を出して多くの余興を催していた。なかでも競馬は最も盛んで、遠く八雲・長万部からも来客があり、広い境内は人でうずまる盛況であったという。

【所在地】
〒049-4433 久遠郡せたな町北檜山区丹羽7番地5
電話 01378-4-5442 
【例祭日】
9月6日
【祭神】
坂上苅田麻呂命(さかのうえのかりたまろのみこと)
坂上田村麻呂命(さかのうえのたむらまろのみこと)
【旧社格】

 

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石灯籠(上の灯籠部は開基100年、下の基礎は開基60年(昭和26年9月建立)とある)

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一ノ鳥居と長い石段

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右側に馬頭観世音碑(建立日不明)

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公園案内図は役に立ちますね。

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中段には日露戦役忠魂碑がありさらに奥には會津白虎隊玉川遥拝所があります。

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中段から下を望む。

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上はまだまだ続きます・・・

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最上段から振り返ると結構な高低差

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参道は登ってすぐ右に折れています

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石灯籠(平成11年8月建立)

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二ノ鳥居

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手水石

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御神木植樹の説明板(旧会津藩(屯田兵)との深い関わりのある琴似神社からわけていただいたようです。)

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狛犬(昭和54年9月建立)

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社殿はキレイに塗られていて素敵です。

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上は鶴で下には亀がいます。

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境内からは遊楽部岳を含む山々が見えて眺めもいいです

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御朱印

御朱印は真駒内神社で受けることが出来ます。

参拝は4/20だけど送られてきたのは気を利かせて令和元年5月1日としてくれました。

ありがとうございました。

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2019.07.17追記

御朱印はもう一種類あります。

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www.moiwa-orosi.com

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