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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】広尾郡広尾町 十勝神社(十勝国一宮)

十勝神社(とかちじんじゃ)は、北海道広尾郡広尾町茂寄1番地13にある神社で旧社格は県社。御祭神は大綿津見神(おおわたつみのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、塩土老翁神(しおつちのおぢのかみ)で例祭日は9月21日。

 十勝神社は北海道十勝地方最南部の広尾町に鎮座する神社で創祀300年を超え、広尾町は帯広よりもこの地方で一番の歴史の深さもあって、十勝国(とかちのくに)一宮でもあり、かつては刀勝(トカチ)大明神、トカチ明神社と呼ばれていました。

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広尾町

 広尾の地名由来はアイヌ語なのですが、大抵道内で有名な地域または大きな地域は由来が定かではなく、ここ広尾もその一つで諸説あります。

 ・ピまたはピロ<pir-or> 陰(陰・の所)山の蔭なる故地名になすという。_上原熊次郎(名のもとになった広尾は崖の岬の所で、古いころ十勝会所はその崖下にあった。元来の会所のあった所の名だったとするなら、この説は捨て難い。_山田秀三)

 ・ピオ<pi-or>(石・の所)小石の多きに取る也。_松浦武四郎

 ・ピルイペ <piruy-pet> 砥石・の川_永田方正(広尾川の川口に近い北岸に青味を帯びた石崖があるのがそれだろうといわれている。_山田秀三)

 ・ピラオ <pira-or>  崖壁ある所(崖・の所)_永田方正

などがあり、松浦武四郎説は誤りというのが多いです。

 また、広尾町になる以前は茂寄村(もよりむら)と呼ばれていて、モイオ・モヨ <moy-or>  入江・の所(内部) 広尾の出岬があるので、その北がゆるい入江の形になっている。その部分がモヨロと呼ばれ、それが茂寄村となり、その辺一帯の称となっていた。 _山田秀三 というのが由来です。

 縄文時代より栄え、町内では装飾、石器などが発見されています。

 1629年(寛永6年)に十勝神社の前身と言われる戸賀知明神社が創建され、1798年(寛政10年)には、近藤重蔵(江戸時代後期の幕臣、探検家)が広尾郡の西隅にあたるビタタヌンケとルベシベツの間2里(7.9km)にルベシベツ山道を開削します。

 江戸時代、松前藩によって場所と呼ばれる知行地が開かれ松前藩家臣と蝦夷との交易が行われ、1859年(安政6年)トカチ場所が開かれていました。 

 1926年(大正15年)茂寄村から広尾村に改称。1928年(昭和3年)広尾郡大樹村(現大樹町)が分村。1946年(昭和21年)町制施行により広尾町になりました。

大正9年測図、昭和19年部分修正地形図 国鉄広尾線(廃線)の終着駅である広尾駅がありますね。

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十勝神社

以下は北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 寛文6年(1666)6月福山藩主武田廣林の十勝国警衛の祈願社として領主蠣崎蔵人が創祀し、当時より刀勝大明神と称えて鎮祭していた。その後シマウス海岸に漂着した流木が龍神の形のようだったところから神体として祀るようになった。爾来漁業が豊かになり地方の崇敬は益々厚くなり、この流木に彫刻を加えて木像とした。その年月日は不詳であるが丈4寸余りの小像で聖徳太子に似ていたと伝えられる。寛政10年(1799〈1798の間違いか?〉)11月には近藤重蔵がエトロフよりの帰路、広尾・様似間の新道開発の記を献額している。明治7年開拓使社寺係取調の際広尾出張所派出14等出仕酒井忠郎が調査上申の末、同8年12月社寺係の通達により仏像及び仏具は悉く退け、同時に祭神を大海津見神と称号することとし、明治9年3月郷社に列せられる。同16年社殿の損壊に伴い改築及び鹽竈神社・稲荷神社の合祀を出願し許可される。同22年6月30日社殿が落成し、大正4年9月神饌幣帛料供進神社に指定される。大正5年5月移転改築が許可され同7年12月現在地に改築竣工し奉遷した。昭和20年県社に列せられ、昭和21年宗教法人となる。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
稲荷神社 保食神 天保6年3月16日創祀 明治21年5月合祀・鹽竈神社 塩土老翁神 安政7年2月創祀 明治21年5月合祀

【所在地】
〒089-2637 広尾郡広尾町茂寄1番地13
電話 01558-2-2063 FAX 01558-2-2063
【例祭日】
9月21日
【祭神】
大綿津見神(おおわたつみのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
塩土老翁神(しおつちのおぢのかみ)
【旧社格】
県社

【社宝等】
近藤重蔵東蝦新道記(道指定)

 一ノ鳥居から続く参道の両脇は公園となっていて子供たちが遊んでいました。 

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二ノ鳥居

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それほど高くない石段で何故かホッとします(笑)

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狛犬

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手水舎

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まだ水は出ません

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石段下には古い石灯籠が一対あり広尾町指定文化財(平成10年12月21日指定)になっています。

慶応二年(1866)十勝場所請負人福島屋の雇船であった越後、糸魚川の大野屋源右衛門所有の北前船「嘉宝丸」の船頭喜次郎が航海の安全を祈って、トカチ明神社に奉納したものである。灯篭は台上1.55米、材質が花崗岩で左右一対である。

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狛犬(年代不詳) 曲線が美しい

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頭貫には龍の宮彫り

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木鼻(獅子鼻)

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建物の角にもいました

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向拝には鳳凰もいます

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社殿右側には御神木と古い手水鉢があって、これも広尾町指定文化財(平成10年12月21日指定)になっています。

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手水鉢

天保七年(1836)三月トカチ会所の福島屋支配人喜右衛門がトカチ場所で働く者一同の(広尾会所、庶野、音調津、東緣、大津番屋あり)平安無事を願って、トカチ明神社に奉納したものである。

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社務所向かいにはいろいろな碑があります

 御即位記念碑(大正4年11月建立)

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済みません読めません。。。(大正7年7月建立)

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頌徳碑(昭和27年12月建立)干場定五郎翁の功績を称え

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北海道文化財百選「十勝神社の観音像」(昭和31年10月建立・北海タイムス社)

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御朱印

参道左の社務所と、参道右の駐車場

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社務所チャイムを鳴らして対応して頂きました。

初穂料は300円。

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