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藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】夕張郡長沼町 長沼神社

長沼神社(ながぬまじんじゃ)は北海道夕張郡長沼町字馬追原野2980番地にある神社で、旧社格は郷社。御祭神は大國魂神(おおくにたまのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ) で例祭日は9月15日。1924年(大正13年)神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定される。

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長沼町

 長沼町(ながぬまちょう)の町名は、タンネト<tanne-to>長い・沼〈松浦図で見ると旧夕張川筋は二つの大沼になっていて、上にあったタンネトウにちなみ名づけられたもの。〉と呼ばれていたのを和訳したものです。

 開拓の始まりは1887年(明治20年)吉川鉄之助及び渡辺伝二ら2家族の入植に始まります。(吉川鉄之助:1872年(明治4年)札幌郡平岸村に入植したのち札幌農学校にてクラーク博士の教えを請う)その後も埼玉県・山形県などからの移住者が入植する。

 1892年(明治25年)長沼村成立。村名設定にあたり、開拓功労者の名をとり吉川村との意見もあったが吉川は固辞し、村内の沼タンネト(アイヌ語:細長い沼)にちなみ長沼村と村名を決定する。

 1930年(昭和5年) 夕張鉄道が開通し長沼駅の設置に伴い北市街地が生れる。

 1952年(昭和27年)町制施行により長沼町になります。

 1968年(昭和43年)防衛庁が長沼町追分山に地対空ミサイル「ナイキ-J(ナイキ・ハーキュリーズ)」部隊一個中隊を配備することを発表。自衛隊の合憲性が問われた裁判長沼ナイキ事件が起こります。

 かつて明治時代に現在の岩手県奥州市水沢出身の吉川鉄之助がこの地域を開拓したのが縁で、1973年(昭和48年)5月9日に旧・水沢市(現・奥州市)と姉妹都市提携しました。

 1974年(昭和49年)夕張鉄道の旅客輸送45年間の幕を閉じ栗山-野幌間22キロが廃止。

長沼といえば、地域ブランドにもなっているジンギスカンが有名で、「かねひろジンギスカン」や「長沼成吉思汗(タンネトウが有名)」は美味しいですよね。

「東西蝦夷山川地理取調図」

大正5年測図、昭和10年修正地形図

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長沼神社

以下は北海道神社庁サイトから。

【由緒】
 明治33年長沼市街地に小社殿を建築し奉斎し、後に東3線北5番地の高台に移転し奉斎したのが、長沼神社の前身とされる。大正2年6月、官幣大社札幌神社の御分霊を御祭神として奉斎する鎮座地(現在地)を定め、社殿を建築し遷座祭を斎行した。大正13年7月長沼神社創立許可。同時に村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定される。昭和10年開村40周年を記念し御社殿の御造営に着手。北海道庁の設計により元の樺太神社を基本とし、昭和12年神明造の壮麗なる御社殿が完成し遷座祭を斎行、社務所移築完了した昭和16年郷社に昇格。長沼総鎮守として社運隆昌の基が築かれた。昭和21年宗教法人設立。昭和42年現在の社務所改築落成する。

【所在地】
〒069-1341 夕張郡長沼町字馬追原野2980番地
電話 01238-8-2504 FAX 01238-8-2504
【例祭日】
9月15日
【祭神】
大國魂神(おおくにたまのかみ)
大己貴神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
【旧社格】

郷社

【社宝等】
銘刀(備前長船兼光作)・長沼神社本殿設計図(大正15年)
その他 長沼町みどりの百景づくり屋敷林(境内林)の部指定

【特殊神事】
長沼町無形文化財勇獅子舞保存会
水祭

【境内外末社】
長沼相馬神社(ながぬまそうまじんじゃ) 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

長沼神社(北海道神社庁サイト)

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長い参道で奥に二ノ鳥居が見えます。

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句碑(詳細よく判りません)

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水霊之碑と故保原元二之碑 1960年(S52)建立

保原元二(ほばらもとじ)は東京大学を卒業後、北海道に渡り、河川改修などの土木事業に従事した人物。第五代石狩川事務所所長、札幌治水事務所長を歴任し、明治43(1910)年から完成までの27年間にわたり、夕張川治水事業(夕張川放水路)に取り組んだ。日本の河川技術の基礎を作った一人である。

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忠魂碑 紀元二千六百年(昭和15年(1940))建立

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改めて写真見て気がついたんですけど、基礎の一段目に兵隊さんの人形が置いてありますね。(ちょっとビビった・・・)

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右側には鎮魂碑(地域の戦没者335余名の名前が刻まれている)

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忠魂碑のそばにある樹上にはアオサギのペアが賑やかな鳴き声で営巣していました。写真左上に巣があり、中央に2羽いますね。

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二ノ鳥居と参道

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長沼神社第二鳥居玉垣奉献碑と第二鳥居奉建記念碑

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長沼村鎮守長沼神社の石碑 1932年(昭和7年)建立

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神楽殿?

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手水舎(手水は手前のボタンを押すと出てきます)

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三ノ鳥居は白御影石で出来ています。

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写真から年号読み取ろうと思ったけど無理でした。

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右側にある境内社の長沼相馬神社と脇の馬頭観世音

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御神木

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玉乗り狛犬 1937年(昭和12年)建立 歯も白く塗られ目が描かれていますね。

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拝殿右側奥にある地神碑

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御朱印

一ノ鳥居を車で潜っても行けるのですが、自分はそれが嫌なので一区画先(左にある恵栗通と書かれた看板のところ)を左折して回り込むと二ノ鳥居手前にある駐車場に着きます。

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社務所玄関のチャイムを鳴らすと対応して頂けます。

初穂料は300円。

お若いのに素敵な字体ですね。

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令和6年5月11日 再参拝

字体の変わった長沼神社と境内社の相馬神社を頂きに参拝しました。

境内社:長沼相馬神社

www.moiwa-orosi.com