page contents

藻岩颪に豊河の流れ。

名前:べえべえ 生息地:ほっかいどうでっかいどうはいどうどう 最近ちょっとお疲れ気味。

【御朱印】札幌市豊平区 豊平川神社

豊平川神社(とよひらがわじんじゃ)は札幌市豊平区水車町6丁目1-21にある神社で神社庁包括外の未公認神社。御祭神は水神3柱で例祭日は春季例大祭4月15日と秋季例大祭9月15日。町内会館でもある旭水会館内にあります。

明治20年創祀。水害防除のため奉祀。昭和48年限旭水会館へ安置する。~さっぽろ文庫 39 札幌の寺社から~

f:id:ksn-bee:20180615223849j:plain

水車町

 水車町(すいしゃちょう)が正式名称ですが一般的には「すいしゃまち」と呼んでる方が多い町名ですね。古くは水車通りとも呼ばれた時代もあったそうです。もと水車があったことから、この地名がついたと言われています。

 開拓使時代にはこの地区に官営の製材所があり、明治20年代に水車川(豊平川の分流)を利用した水車小屋が作られて、精米・製粉の動力源として活用されていました。
 また、同じ頃には周辺地域と同様にりんごの栽培が盛んで、多くの果樹園も広がる地域でした。
 最盛期の大正初期には7~8軒の水車小屋があって当時の札幌市内で供給される米や粉の加工は全てこの地域で行われていました。
大正中期以降になると電気の供給が始まり水車の数も激減し1924年(大正13年)までには完全に姿を消します。
 1962年(昭和37年)豊平川に南大橋が架けられると市中心部とのアクセスの良さから宅地化が進み果樹園の数も激減します。水車川も宅地化の影響で家庭排水による汚濁化が進み、1973年(昭和48年)には埋め立てられて姿を消しました。かつての河道は現在サイクリングロードや遊歩道になっています。

左:大正5年測図地形図には、かつて流れていた水車川と水車の記号がたくさんあります。

f:id:ksn-bee:20180615212040p:plain

豊平川神社

旭水会館入口にある由緒書から。

由来
一、 1887年(明治20年)精米業者 古舘銀次郎氏が岩手県から入植し、郷里の水神である三神の御神体を奉斎して、豊平川の氾濫防止と事業の安泰を祈願したものである。
二、 1910年(明治43年)札幌神社(現北海道神宮)宮司により、社名額に「豊平川神社」と揮毫(きごう)されてから、”水神さん”と多くの人々に親しまれて呼ばれていたのが以後、”豊平川神社”と呼ばれるようになり無願神社として現在に至っている。
三、 1971年(昭和46年)神社用地(水車町五丁目)が、札幌市の都市計画で道路用地となり、神社と隣接する町内会館も移転対象とされた事から、現在地(水車町六丁目一番二十一号)に移り、町内会館に神社を安泰する形態で建設し現在に至っている。

祭神
水波女乃命(ミズハノノミコト)(多分、水波乃女命ミズハノメノミコトの事)清い水の流れをいつまでも続くようにする神様
御井神(ミイノカミ)天地万物の生物に清い水を与えるための神様
鳴雷電命(ナルイカヅチノミコト)生物が水を不足しないように雷電によつて雨を降らせる神様

祭礼
元日祭   一月一日
春季例大祭 四月十五日
秋季例大祭 九月十五日

旭水会館の中にあります。無人なので普段は施錠していることが多く、例祭日及び町内会の会合や豊平区内のサークルなどが使用している時でないと開いていません。

f:id:ksn-bee:20180615223829j:plain

f:id:ksn-bee:20180615223833j:plain

正面奥に神殿

f:id:ksn-bee:20180615223839j:plain

f:id:ksn-bee:20180615223849j:plain

f:id:ksn-bee:20180615223854j:plain

お祭りに使う太鼓や小道具が置いてあります

f:id:ksn-bee:20180615223858j:plain

御朱印

何回通りがかっても、いつも閉まっているので電話を調べて掛けてみると、丁度その日が何かのサークルが2階を借りていて管理人さんが居る日でした。

御朱印は、知人が同町内会に住んでいて町内会役員と知り合いだったもので、御朱印帳を預けてお願いしておりましたら幸運にも頂くことができましたので、通常の頂き方は知らなくてごめんなさい。ネット情報によると例祭日にいただいてる方が居るようです。

f:id:ksn-bee:20180615223908j:plain

www.moiwa-orosi.com

www.moiwa-orosi.com